書評
『おいしい中国―「酸甜苦辣」の大陸』(文藝春秋)
質素ながらも楽しい食生活を回想
中華料理について書かれた本は、意外とたくさんあります。お隣の国の料理が私たちは大好きなのであり、それらの本にはきまって、中華料理の奥深さと豊かさとが紹介されている。しかし中国に生まれ、日本で小説を書く著者が子供の頃の食生活を回想する本書では、その手の本とは一味も二味も違う中国の食事情を見ることができるのでした。楊さんは1964年に、中国東北部ハルビンに生まれます。おやつのアイスキャンデーを楽しみにし、正月には家族総出で餃子(ぎょうざ)を作るという、質素ながらも楽しい食生活を送った子供時代。
その生活が一転するのは、1970年のことです。文化大革命により、教師だった楊さんの両親は辺鄙(へんぴ)な農村に下放され、電気もガスも水道もない廃屋での生活に。畑を開拓するところから始まる食生活だったのであり、油どころか水すらも貴重品でした。
当時、6歳になるかならないかだった楊さんは、下放された時の母の涙を記憶しています。その母は、乏しい食料の中から様々な工夫をして、生活に彩りを添えようとしていました。つらい3年間の下放生活についての文章に、どこか温かみとユーモアがあるのは、単に著者がまだ子供だったからだけでなく、子供たちを飢えさせまいという両親の必死の努力が陰にあったからでしょう。
今の日本には、食べ物があり余っています。そんな日本において著者は、「好き嫌いなく、いや、単に嫌いなく、どんなものでもおいしく食べられる」のは、下放時代があったから、と書くのです。
一方、日本の家族の食卓を見ると、必ずしも豊かとは言い難い現実があります。食べものが乏しい時に生まれる創意と努力は、飽食するにつれて、失われるものなのか……。
食料の豊かさと、食卓の豊かさとは必ずしも一致しないことを示唆するこの本。グルメ本のような見かけと違い、まさに酸いも甜(あま)いも、そして苦いも辣(から)いも感じさせてくれる、味わい豊かな一冊なのでした。
朝日新聞 2010年11月14日
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