書評
『夢の砦 ___ 二人でつくった雑誌「話の特集」』(ハモニカブックス)
最も輝いていた「昭和の伝説」
1965年、 高校通いの帰途、横浜駅ビルの書店で雑誌を立ち読みするのを楽しみにしていた私は12月のある日、 見慣れない雑誌を発見した。 異様な色彩感覚の表紙には『話の特集』とあるだけで、何月号かの表示もない。気になって購入するや、たちまち愛読者となった。本書はこの雑誌を和田誠と二人三脚で創刊した編集長・矢崎泰久が2019年に亡くなった相棒に捧げた熱きオマージュである。社会部記者を辞めて、父の経営するエロ雑誌の出版社で働き始めた矢崎は新雑誌の創刊を目論み、旧知のイラストレーター和田誠のもとを訪れレイアウトを依頼する。このときのやり取りを和田誠はこう記している。「『全ページ面倒みるとして、金は払ってくれるの?』『払うよ』『××円だよ』『馬鹿にしてるの?それくらい払えるよ』『1ページの値段だぜ』『ええっ!それはちょっと無理だよ』『そうでしょ。だから金はいらない。その代わり、デザインは勝手にやる。デザインだけじゃなく編集の内容に口を出させてくれる?』『いいさ。そのほうがありがたい』。そんなわけで日活名画座に続いてまたタダの仕事を引き受けてしまった。やれやれ」 (『銀座界隈ドキドキの日々』より)
かくて、32歳の矢崎と29歳の和田は双頭の編集長として、自分たちが読みたい雑誌の創刊に向かって走り始めたのだが、和田誠は表紙を自分では描かず、ユニークな才能を高く買っていた無名の新人・横尾忠則を起用する。二人で訪ねていくと、横尾は「いいタイトルだなあ『話の特集』って。これに決めようよ」と乗り気になる。和田は『話の特集』というタイトルで矢崎がすでにエロ雑誌を出していたので、おおいに不満だったが横尾に押し切られる。
かくて時代のはるかに先を行く横尾のイラストを表紙にした新生『話の特集』が創刊されるが、旧世代の経営者は顰蹙し、横尾の降板を主張する。事実、売れ行きも芳しくはなかったが、そのうちに熱烈な賛美者が現れる。たとえば『表紙の横尾と云う人は天才だね』と賞賛した吉行淳之介。たとえば三島由紀夫。彼らも当然、執筆陣に加わることになる。また特筆すべきは創刊当時からヌード写真を担当したのが新鋭の立木義浩と篠山紀信だったこと。これも和田誠の強い推薦による。
ではもう一人の編集長である矢崎はというと、元社会部記者の突貫精神を遺憾なく発揮して「スーパーマン研究」というタイトルで、鶴田浩二、石原裕次郎、勝新太郎、田宮二郎、高倉健、王貞治などのビッグスターへのロングインタビューを試みる。本書にはこのシリーズとそれに続く「話の特集インタビュー」の中から高倉健、ユージン・スミス、吉永小百合、向田邦子が拾われているがこれは時代の貴重な証言となっている。
しかし、なんといっても凄いのは和田誠が川端康成『雪国』の冒頭を用いた文体模写の連載だろう。野坂昭如、植草甚一、星新一、淀川長治、伊丹十三、五木寛之、椎名誠、司馬遼太郎、村上龍、蓮実重彦、丸谷才一、村上春樹、俵万智、吉本ばなな、井上陽水、サリンジャー、チャンドラーなどが「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と語り始めるのだ。
野坂昭如「国境の長いトンネル抜ければまごう方なきそこは雪国。夜の底白くなり、信号所に汽車が止まると向側の座席から一人の女立ち上がり、あれよと見守るうち、島村の前のガラス窓落としたから雪の冷気いやが上にも流れこむ。……」
植草甚一「国境のトンネルはとても長いので、ここを通るときはいつもどのくらい長いのかしらと考えるのだが、そのときもぼくはそんなことをポカーンと考えていたけれど、そのうちウトウトして来たので、読みかけの本をまためくりだした。……」
蓮実重彦「国境の長いトンネルを抜けると雪国であったのだが、もちろんここで雪国というのは夜の底が白くなったと表現するほかないほどの地方を指すのであり、その信号所に汽車が止まったという事実は、郷愁などという弛緩しきったイメージにとどまらず、雪国が雪国として存在しているがゆえの正しい選択なのであり……」
丸谷才一「なにがしという人の説によると、国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国ださうである。この説はすこぶる評判がいい。言葉にはずみがあるし、むやみに単純で切れ味がいいし、第一わかりやすいからだせうね。……」
俵万智「雪国に向かう列車に乗ったから我は演歌のヒロインとなる……」
井上陽水「(Am)トンネルを抜けると(Dm7)雪国ですか/(G7)それなら恋の終わりは(E7)どこですか……」
うーん、 和田誠は天才だ、 いや大天才だ!
和田誠が創刊以来30年、無償で双頭編集長を務めた『話の特集』は1995年に休刊となる。伝説の雑誌の見事な復元を通して、昭和の最も輝いていた時代が蘇る。
【オンラインイベント情報】2022/12/03 (土) 20:00 - 21:30 シミズヒトシ × 鹿島 茂、矢崎泰久, 和田 誠 『夢の砦 二人でつくった雑誌「話の特集」』(ハモニカブックス)を読む
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