書評
『ヴェルレーヌ伝』(水声社)
「呪われた詩人」の逆説と栄光
ダメなやつ、どこまでもダメなやつ。甘ったれの弱虫のくせに酒が入ると急に気が大きくなり、身内の者に見境のない暴力をふるう。酔いがさめると激しい後悔に苛(さいな)まれ自己嫌悪の塊になるが、反省が続くことは決してない。最後にはだれからも見放されて孤独のうちに死ぬ。そう、われわれの回りにいそうな弱く惨めな人間。だが、この人生の落伍者は偶然にも超一流の詩人であった。ためにマイナスのベクトルは一挙にプラスのベクトルに転化して、「落魄(らくはく)の詩人」という栄光に満ちたイメージでわれわれの前に立ち現れることとなったのである。伝記作家アンリ・トロワイヤが読者に届けようとしたのは、どうやらこうした文学特有のパラドックスの有り様であるらしい。一八四四年、メッスの軍人家庭に生まれながら、一人っ子として甘やかされたヴェルレーヌは、自我を肥大させながら育つ。フリーターやニートが許されていなかった時代だから、両親は奔走して一人息子にパリ市職員という閑職を探してくる。お陰で、ヴェルレーヌは楽な勤務の後は、酒場に走ってアブサンを飲み、文学仲間と思い切り憂さを晴らすことが出来た。やがて、彼は「現代高踏派詩集」に名を連ねるまでになる。『土星人(どせいびと)の歌』という第一詩集を出すが、マラルメという名のリセ教師から熱烈なファン・レターを受け取った以外に何の評判にもならなかった。
そんな若き詩人の前にうら若き乙女が現れる。友人の妹マティルドである。ヴェルレーヌは周囲の反対を押し切って結婚。だが、パリ・コミューンに与(くみ)したことから職を失い、運命は暗転。妊娠中の妻とパリに戻ったヴェルレーヌのもとに一通の手紙が届く。「文面の下の方に、アルテュール・ランボーという、見知らぬ人物の名が署名されていた」
突如現れたランボーが傍若無人の振る舞いをすればするほどヴェルレーヌは魅せられていく。ランボーと一緒にいると、しがらみから解放されたように感じたのである。ランボーと毎晩街を彷徨しているのを妻に詰(なじ)られたヴェルレーヌはついに怒りを爆発させる。
マティルドが腕に抱いていた赤ん坊のジョルジュを引き剥(は)がすと、乱暴に壁に打ちつけた。内壁に当たったのは、奇跡的にも赤ん坊の足だった。
恐怖に駆られた妻が夫に飛びかかると、夫は妻に馬乗りになって首をしめたが、その瞬間、マティルドの父が入ってきて娘を救った。「自身の行いにぞっとなったヴェルレーヌは階段を駆け下り、人殺しのように逃げ出して、母の家で眠りについた」。ランボーはことの顛末を知らされると、手をたたいて喜び、ヴェルレーヌを思うがままに引き回すようになる。掣肘(せいちゅう)を失った二人は屋根裏部屋で禁断の営みに熱中する。ここで興味深いのは、ヴェルレーヌの両性具有性である。
二人の性交で男役を務めていたのはランボーであった。ヴェルレーヌの気質は、自らを従属させる方に向かった。(中略)だからといって気が向いた時には、女の肉体に欲情をそそられなかった訳ではない。彼は体格の良い青年も、豊かな胸の陽気な女も、どちらも良しとしたのである。
ランボーとベルギーに出奔したあげくピストル射撃事件を起こし、以後はデカダンスの道を転がり落ちたが、まさにそれによって「呪われた詩人」の栄光を担ったのである。
いまや、どの家庭にも、詩才のない小型ヴェルレーヌがいる時代、社会心理学の教科書として使えそうな評伝である。(沓掛良彦、中島淑恵・訳)
ALL REVIEWSをフォローする