書評
『フェルメール デルフトの眺望』(白水社)
稀有の天才の謎に迫る
デルフトの画家フェルメールは、近年とみに人気が高い。一九九五~九六年にワシントンとハーグでその主要作品を集めた展覧会が開かれた時には、世界の各地から多くの愛好者がおし寄せて大きな話題となったほどである。ひとつには、この画家をめぐって歴史上最大と言われる贋作事件が起ったり、その作品がしばしば盗難の被害にあったりしたことが社会的な関心を呼んだという事情もあったろうが、しかしそれ以上に、作品そのものが、ごく身近な人物や風俗を題材としながら日常性を越えた静謐な魅力を湛えていることが、人気の何よりの理由であろう。だがそのフェルメールの伝記を書くというのは、容易なことではない。残された作品も、同時代の資料も、きわめてかぎられたものでしかないからである。
実際、現在フェルメール作品とされているものは、若干異論のあるものを含めてもわずか三十数点に過ぎない。これは同時代に活躍した風俗画家ピーテル・デ・ホーホが一年間に描いた作品数よりも少ない。また、伝記的事実について言うなら、フェルメールが生まれた時の洗礼式の記録があり、二十歳の時に婚約したことがわかっているが、その間の二十年間については、何の資料も残っていない。彼は婚約の翌年結婚し、同じ年に画家組合に入会しているから、この時一人前の画家として認められたわけだが、ではそれまでどのような修業をしたかということに関しては、資料は沈黙したままである。
アンソニー・ベイリーの『フェルメール デルフトの眺望』は、当時の社会状況に広く眼配りすることによって資料の不足を補いながら、この謎の画家の本質に迫ろうとした労作である。例えば、彼が師事した、あるいは影響を受けた可能性のある画家が数多く紹介されている。むろんそれはすべて推測の域を出ないが、そのことはおのずから当時のオランダ絵画界の状況を示すものとなっている。
作品の分析においても、他の画家たちとの比較、対立に多くの頁がさかれている。そのなかから、この稀有の天才の特質が浮かび上って来るのである。
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