書評
『墓と葬送の社会史』(講談社)
「さわらぬ神」の歴史と現状を面白く描く
このたび東京都が多摩霊園に、お墓のマンションというか集合型の新しい慰霊施設を作った。土地のない東京向きだし、作りは極楽みたいでなかなかよいと僕は思ったが、墓石業界の団体から、予期せぬ強い批判が上がったと新聞に出ていた。また、墓地売買の時の一坪は普通の何分の一でしかないから、現場を見て驚かないようにと聞かされたこともある。
とにかくお墓は現代社会の治外法権というか、さわらぬ神にたたりなしというか、難しい。治外法権なんて大げさと思われるかもしれないが、今でも墓地には税金がかからない、という一事を見ても謎めいた領域であることはまちがいない。墓地という薄暗い領域の歴史と現状について入門書が欲しいと思っていたら、この本『墓と葬送の社会史』(講談社現代新書)が出た。
歴史のところが知らないことばかりでとても面白い。たとえば、今では当たり前のお寺と墓地の一体化も長い歴史の中でしだいに当たり前になったのだという。その昔、奈良時代のお寺に墓地はなかった。古墳に埋められるような高貴な人は除いて、普通の人間の遺体は穢(けが)れたものと考えられており、河原や山の麓に打ち捨てられ鳥獣の餌になるのが関の山。ところが平安時代になり、浄土思想が起こると、現世と極楽をつなぐ墓地への関心がにわかに高まり、藤原道長が宇治の自家用死体捨て場にお寺を建立する。お寺に墓が作られたのではなく、お墓に寺が進出したのである。
このことは決定的で、以後、お墓まいりの習慣が生まれ、先祖の霊がそこに住む(眠る)とされ、墓から穢れの観念が消え、やがて都市の中の寺にも墓地が取り込まれるようになり、死者と生者は土塀一枚へだてて共生しながら現在にいたる。
墓石の発生も意外で、中世に出現した時は、死者の記念碑という現在のような性格はなく、死者の極楽往生を後押しする応援歌のようなもので、個人や一族の名を刻むなんてことはしなかったという。
現代の墓地の問題について、著者は、これまでの主流であった「○○家之墓」と刻むタイプが減ることを肯定的に予想している。理由としては家制度の弱体化が決定的で、会ったこともない何代も前の祖霊と同じ穴で眠ろうなんて人はまれになり、親子だけの方が安眠できる人が増え、とりわけ嫁の場合、死んだ後まで姑と一緒はこりごりという人が急増しているという。
著者は墓の制度がこれから大きく変わることを予想しているが、そう簡単にはいくまいと思う。
〈人間の保守性は、衣・食・住の順にしだいに強化される〉という法則があり(私の考えたことだが)、終の住みかの墓は究極の保守にちがいないからだ。
長崎のとある岬の、江戸時代に隠れ切支丹の村であったと思われる墓地で、異様な光景を見たことがある。明治以後現在までの墓石が林立しているのだが、いずれも黒い普通の四角な墓石のてっぺんにチョンマゲのように十字架が乗っている。それも、同じ石から削り出して。禁教令が解かれた後も、墓だけは寺の墓地の墓石タイプを捨てるにしのびなかったということだろう。
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