複雑に変遷する境界や領域の変化を求めて
本書『律令国家の辺境と交通―揺れ動く南北の境界と領域―』は、古代交通研究会第二二回大会「律令国家の辺境と交通―揺れ動く境界と領域―」(二〇二三年七月一日・二日、於慶應義塾大学三田キャンパス)の成果に基づいている。本企画案を提案した者として、企画の経緯と本書の概要について述べておきたい。筆者は会場校の教員として、同僚の藤本誠氏とともにこの大会の運営に関わった。筆者にとっての古代交通研究会は、二〇一〇年から二〇一五年まで大会委員としてお手伝いさせていただき、二〇一七年の第一九回大会では報告もさせていただくなど、なじみ深い会でもあった。二〇一五年に大会委員を辞したのは、筆者が山形大学に就職することになり、恒常的な参加が困難となったためであるが、今回の大会テーマとして辺境を提案したのは、この山形への赴任を契機とした東北史への関心に基づくところも大きく、筆者の世界を広げてくれた東北地方へ、いくばくかでも恩返しができればとの思いもあった。もちろん、こうした個人的な思いだけではなく、学術的な目的も念頭にあったことは言うまでもない。境界や領域の変化は直線的な移動ではなく、律令国家の支配政策とも相俟って、駅路をはじめとする交通路とも密接に関わりながら複雑に変遷することもあり、多様な視点からの複眼的な検討が不可欠なテーマである。ゆえに、文献史学・考古学を中心とした各方面の研究者が集う本会の強みを発揮することができると考えた。
大会当日には、シンポジウム報告者として永田英明氏・高橋学氏・相澤央氏・村田晃一氏にご登壇いただき、また全国各地の事例については上野修一氏・福井知樹氏・山田隆文氏・大岡康之氏にご報告いただいた。酷暑の中の大会であったが、当日は会場・オンラインともに多くのご参加をいただき、盛会のうちに幕を下ろすことができた。
もっとも、「辺境」と銘打つ以上、東北地方だけでは話が済まないことは言うまでもない。議論を偏狭なものにしてしまうことなく、九州や山陰なども含め、古代国家の境界やその周辺領域、また辺境のさらに外側とのつながりについて全国的な検討を行うことが、本書を編む上での最重要課題の一つであった。今回、多くの方に原稿を寄せていただき、こうした課題にかなりの程度向き合うことができたのではと思う。ここで、本書の概要を整理しておきたい(以下、執筆者名は略記させていただいた)。

国家整備以前から存在した交通路とその後の再編
まず挙げておくべきは、辺境とされる各地域においても、国家による整備以前の交通路が果たした役割が重視されている点である。東北地方における東西南北の交通が持つ蝦夷社会における公共性と、国家権力との関係(Ⅰ―3永田)、九州においても、もともと存在した地域社会間の交通路を前提に、倭王権・律令国家の軍事や外交政策に規制されて交通路が形成されたことや(Ⅰ―7酒井)、南九州でも前代からの交通路の存在を前提に、国府など律令国家の拠点が成立したことによる交通路の再編がなされたことが明らかにされている(Ⅱ―6菊池)。辺境地域においても国・郡といった行政区分が施行され、律令制的な支配も展開してゆくが、国郡行政は俘囚や隼人といった服属した化外の民も含み込む形で展開してゆく(Ⅰ―1鐘江)。そうした中、個別の地域研究としては、辺境・辺要・辺遠などの語義に注目しながら出羽や縁海国といった地域的な特徴について論じられ(Ⅰ―5十川・Ⅰ―6橋本)、辺境とは何か、また地域によって一様ではない辺境の在り方も明らかになっている。こうした論点については、日本海側における海路による支配の点的拡大が、遠隔地間の結びつきや交流を生んだとの指摘(Ⅱ―3相澤)や、最新の発掘調査成果も踏まえた、出羽北部の交通についての水陸両面からの検討(Ⅱ―2高橋)によっても理解が深められ、東北地方では陸奥側についても寺院や官衙造営における瓦生産の展開と交通路との関係が具体的に明らかにされている(Ⅰ―4藤木)。また山形県域における東山道駅路について征夷事業の中で位置づけた検討(Ⅱ―4中村)、九州では壱岐について、中央や中国・朝鮮との中での政治的意義・交通の形成を明らかにしたもの(Ⅱ―5堀江)などとも関わりながら、各地域の具体的な様相も明らかにされている。
軍事境界線としての城柵・集落の形成
さらに「辺境」に伴う境界そのものについて、八世紀の東北地方において、城柵や官衙・集落が目視可能な軍事境界線となり、蝦夷支配体制の視覚化がなされたことが論じられている(Ⅱ―1村田)。また蝦夷社会に律令国家が進出してゆく過程において、東アジア東北部における疫病や飢饉などで疲弊したタイミングで行われた人口調査が、柵戸民や蝦夷たちに大きな不満を抱かせたとの指摘もある(Ⅲ―4田中禎)。加えて、多様な人々の混在する辺境ゆえの宗教の意義も論じられた(Ⅰ―2藤本)。こうした中、東北地方については九世紀以降には官寺以外へも仏教が展開し、辺国隣域へも儀礼を伴った手工業生産・流通網の拡大がなされたことが指摘され(Ⅲ―2斎野)、九州についても瓦からみた仏教の多様な展開・受容の様相が描かれている(Ⅲ―3齋部)。
辺境のさらに外との交易や文化受容の様態
交易に関する論点では、辺境のさらに外との交易についての具体像も明らかにされている。東北地方における続縄文社会との交易(Ⅰ―藤野コラム)、八戸地域における蝦夷集団同士の日常的交流や律令国家・陸奥国等の有力豪族との交易(Ⅱ―宇部コラム)、また南島では交易による社会変革が起きたことも指摘されている(Ⅱ―田中史コラム)。北日本についても、須恵器(Ⅲ―1渡辺)や蕨手刀(Ⅲ―黒済コラム)といった中央から流入した物品が、蝦夷社会などで再解釈・改良されていった可能性が論じられている。仏教なども同様であるが、中央から流入した文物への需要が、辺境の内外で存在したことが明らかにされたと言えよう。以上のように、辺境というキーワードから、古代国家の周縁地域における交通のみならず、支配体制の具体像や地域社会の変化、辺境のさらに外側とのつながりの具体像も鮮明になったといえる。辺境という言葉は、周縁といった概念とも異なり、国家が境界を強く意識した際に生じる概念であり、その点において国家中心の歴史観の印象を抱く場合や、差別的なニュアンスを感じ取る向きもあるかもしれない。しかし、本書を通じて描こうとしたものがそうした歴史観ではないことは、すでに本書をご覧になった方にはご理解いただけていることと思う。本書で描かれたのは、中央と地方、あるいは国家と蝦夷・隼人といったような単純な二項対立ではなく、多様な地域社会の具体像に目配りした歴史像である。辺境という概念は、領域の内外を区切る境界線ではなく、国家とのかかわりの中で地域社会にいかなる変化がもたらされるのかを理解するための、一つの補助線たり得るものと考える。読者諸賢のご高批を乞うとともに、本書が地域史研究活性化の一助となれば望外の喜びである。
なお、上記に加えて遺構事例では、下野国における東山道駅路(Ⅳ―1上野)、近江の古代東海道の(Ⅳ―2福井)、大和国の横大路(Ⅳ―3山田)、紀和国境付近の南海道(Ⅳ―4大岡)について、それぞれ貴重な最新の調査成果を寄せていただいた。
限られた期間のなかで原稿をお寄せいただいた執筆者各位には、感謝の念に堪えない。
古代交通研究会第二二回大会、ならびに本書刊行に関わられたすべての方に編者一同より心より御礼申し上げ、本書の結びとしたい。
[書き手]
十川 陽一(そがわ よういち)
慶應義塾大学文学部准教授。日本古代史。
[主な著作]
『律令国家の辺境と交通―揺れ動く南北の境界と領域―』(共編著、八木書店、2025年)
『日本古代の国家と造営事業』(吉川弘文館、2013年)
『人事の古代史―律令官人制からみた古代日本―』(筑摩書房、2020年)
『概説日本法制史(第二版)』(共編著、弘文堂、2023年)