書評
『やわらかいものへの視点―異端の建築家伊藤為吉』(岩波書店)
発明に没頭した「永久動力大先生」の墓碑銘
歴史を書くということは過去の出来事や人物への供養なんだ、と、この本を読んでまず思った。供養される人物が、生きていた頃に十分に評価されたり、栄達したりしていたのでは、歴史家がわざわざ資料を掘り返して供養する必要はないが、時代と縦横に切り結びながらその切り結び方が世間の常識とズレていたりして忘れられてしまったような場合には、ほうっておくわけにはいかない。
そういう供養したくなるような人物がどんな領域にもいるにちがいないが、日本の近代の建築界の場合、まず筆頭にあげられるのが伊藤為吉(いとうためきち)である。
その死のシーンは心うつものがある。
昭和十八年の春、大阪。前年、苦楽を共にした妻に先立たれながら、八十の老骨をふるい立たせて人生最後の夢、永久動力機関の開発に没頭する伊藤老人がいる。
永久動力というのは、外からエネルギーを投入しなくても永久に働く夢のエンジンのことで、そんなドラえもんの腹の中から取り出されるような便利な機械は原理的にはありえない。しかし、原理はどうせ人の頭の考え出したことで当てにはならないと心中ひそかに確信している「手で考えるタイプ」の人間は、多くの町の発明家がそれに当たるのだが、最後には永久動力にとりつかれて終わるといわれる。
その典型的人物である伊藤老人は不眠不休の発明活動が体をむしばみ、ついに倒れてしまった。
ここまではよくある発明狂のラストシーンだが、この先がちょっと変わっていて、登場人物がにぎやかになる。画家の中川一政(なかがわかずまさ)あたりの発案らしいが、役者の千田是也(せんだこれや)が、発明から足を洗うよう説得に出かけ、千田の言によると「近代俳優術の秘術をつくして説得したが、永久動力大先生にはとても太刀打ちできなかった」。結局、病をおして発明に没頭して亡くなり、遺骨を千田是也と舞台美術の伊藤熹朔(いとうきさく)が運ぶ。中川は娘むこ、是也と熹朔は息子である。
伊藤為吉は、一旗あげようとサンフランシスコに渡り、明治二十年、帰国し、まずクリーニング、つづいて建築家として店を開き、銀座の初代和光の時計台(明治二十七年)やら新橋博品館(明治三十二年)やらの名物建築を作るのだが、いつしか発明にも手を染めるようになり、第一次大戦用の水陸兼用貨車、千島探険隊郡司成忠(ぐんじしげただ)のための組立式防寒家屋、さらには竹製玩具の器械体操人形まで何でもあれ。
そして、永久動力へと進んで終わる。
著者は、技術開発が高度に組織化した現在とくらべて言う。
いかにドン・キホーテ的であったとしても、手づくりの夢を本気で追い求めることのできた、やわらかい、人間主体の時代がまだそこにはあった。
なお伊藤為吉の発明のうち、今も生きているのは例のコンクリートの万年塀だけ。竹の器械体操人形というのはまだ夜店に並んでいるんだろうか。
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