書評
『見ること』(河出書房新社)
昏い覚醒が続く魂の冥府
サラマーゴの『見ること』は、「見えないこと」をテーマにした前作『白の闇』と対の作品として読むべきだろう。『白の闇』が何度目かの再評価を受けたのは、コロナ禍においてだった。突如、「ミルク色の海」に視界を覆われる失明症状が人びとの間に伝染していく。「白い悪魔」と呼ばれるこの感染症は病原の解明が進まず、治療法やワクチンの目途も立たない。パンデミック文学として読まれたのである。
この感染症の患者たちは巨大な精神病棟に収容される。強硬かつ非人道的な隔離政策が敷かれ、不潔で劣悪な生活環境の下、人心は荒廃し、残虐性や獣性が暴きだされていく。
場所や人物の固有名詞は一切出てこないが、ポルトガルの長期ファシズム独裁政権「エスタド・ノヴォ」(1933~74年)が想起されるだろう。サラマーゴはナチスの強制収容所や、米国内での日系人収容所も参考にして、感染者らの隔離病院を描いたと言われ、さらには、政府と癒着し腐敗していた教会への批判も感じさせる。
『白の闇』で最後に感染症は突如消え、人びとは視力を回復する。それは、みずから「見る」「考える」力の獲得ということを意味していただろう。白の闇というのは、目をひらいていながら心で見えていない状態、文明の失明を表していた。
『見ること』はこの感染症が収束して4年後の物語だ。
投票所の場面で幕を開ける。強い降雨のなか、有権者はまるで現れない。雨があがり、午後4時きっかりに人びとは一斉に投票所に集まってくるが、70%以上は白票であり、再選挙となった。ところが、次は白票が83%に増加。大統領は非常事態宣言を発出。政府はこの棄権者たちを「白者(しろもの)」と呼び、反政府主義者として弾圧することにした。
サラマーゴは再び白の海を読者の前に創出した。『白の闇』ではページの外側に暗示されるだけだった当局が姿を現わす。人びとは4年前の病気の記憶を忘れようとしているが、大統領はあの「白の闇」と今回の「白の投票」に繋(つな)がりを見出(みいだ)そうとしているようだ。
白票を有権者からの不信任表明として見ることができないのだ。弾圧下で新聞は政府への批判力を失い、外出禁止令が出され、劇場・映画館は閉鎖し、5人以上の集会が禁止される。やがて政府は首都を打ち捨てて移転し、警察・軍隊の保護を失った都市を包囲し爆撃を始める。
『白の闇』に登場した医者とその妻(隔離病院で唯一視力を保った人物)が再登場し、容疑をかけられることになるのだが……。
最後に体制側の警視は部下たちにこんなふうに言う。きみたちは真実を話すかぎりわたしの信頼を裏切ることはないが、自身の真実に反するならば真実の名における嘘(うそ)を拒絶せよ、と。
サラマーゴの文体の特徴といえば、改行を滅多(めった)に行わず、ピリオドをほとんど使わない、引用符でくくった直接話法の会話文を用いない、などが挙げられる。本作においてもこの文体が採用され、昏(くら)い覚醒がどこまでも続く魂の冥府が表現されている。訳者によれば、作者は『白の闇』以前の作では石の「彫像を(外側から)描写することに専心」していたが、それ以降は「石のなかへ入っていく」ものになったのだという。