書評
『王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史』(音楽之友社)
ハルビンは「東のパリ」だった
マンシュウコク、あれはいったいなんだったんだろう。現在、中国では偽満州国と記し、そのような国はなかったことにしている。日本が史上にただ一度なした建国実験(大失敗の)であった、という見方もある。歴史地理的に眺めると、奇妙な場所であったことが分かる。近代以降、ハルビンにせよ大連にせよ帝国ロシアの支配下にあり、ヨーロッパが地続きで張り出してきていた。そこは、中国ともいえるがヨーロッパでもあった。
日本の隣にヨーロッパがあった。こうした歴史地理的な視点で、いちど満州のことを考えてみる必要があるように思う。少なくとも文化史的には、台湾、朝鮮といったアジア植民地と同じに扱うわけにはいかない。
オーケストラがやってきた。満州からやってきた、とこの本『王道楽士の交響楽』(音楽之友社)は教えてくれる。思いもよらない「知られざる音楽史」である。
日本の交響楽初演は、意外に遅く、大正十四年になる。日本人にオーケストラという本当のヨーロッパ音楽を聞かせたい、と熱望した山田耕作は、隣のヨーロッパに目を付け、ハルビンで音楽活動をしていたロシア人をベースにモスクワやレニングラードからも補充して楽団を結成する。三十三人のメンバーのレベルは高く、コンサート・マスターを務めるケーニヒは、ロシアを代表する一人。当時、革命を逃れて、白系(反革命系)ロシア人がハルビンに集まっていたが、彼らのなかにはすぐれた才能を持つユダヤ人音楽家が多く、日本への渡航を脱ソ連のチャンスとみていた。
この三十三人に日本人三十八人を加えた七十一人編成のオーケストラは、震災復興なった歌舞伎座のこけら落しに、四夜連続十八曲を奏でた。そして多くの音楽青年が心をうばわれる。たとえば、朝比奈隆は、著者のインタビューに、
「歌舞伎座の切符が買えなくて、やっとの思いで青山会館(追加公演)に行って、山田耕作先生が指揮する《タンホイザー》序曲を聴きましたが、とにかく上手とか下手とかではなく、巨大な音量の迫力に圧倒されました。まあ、この感激が、私の人生における間違いの始まりだったわけです(笑)」
この出来事が機になり、日本にもオーケストラが生まれる。一つは東京で、山田、ケーニヒの日響。もう一つは大阪で、メッテルの大フィル。日本のオーケストラは、ハルビンからやってきて、芽を吹いたのである。
一流ロシア人音楽家が日本に去った後のハルビンはどうなったか。ロシア→ソ連→満州国と国家が転々とするなかで、多くのユダヤ人演奏家は上海へと移り、ハルビンのオーケストラは消えかかる。
この絶滅の危機を救ったのは、意外にも満州国の二本柱の満鉄と関東軍の特務機関であった。満鉄が、左翼出身者などを集め独自の文化政策を進めていた話は聞いたことがあるが、特務機関がどうしてオーケストラに?
事情は複雑かつ意外をきわめるので、本書を読んでいただくしかないが、一般に知られていない史実が続出する。関東軍特務機関が、満州国政府に逆らい、一万五千人のナチスに追われたユダヤ人を救う話とか、敗戦間近な時期に、巌本真理や辻久子や服部良一や朝比奈隆が、満州の空にオーケストラをガンガン響かせていた話とか。現在の中国、韓国、北朝鮮のオーケストラもルーツはハルビンだという。ハルビンはユーラシア大陸の東のパリだったのである。
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