書評
『紅梅』(文藝春秋)
闘病記を超えて、内省的告白の書
東日本大震災にからんで、吉村昭氏の旧作『三陸海岸大津波』が再び注目されているという。それはそれでけっこうなことだが、吉村氏には長く読み継がれるべき作品が、ほかにもたくさんある。司馬遼太郎氏などに比べて、いささか地味な感のある吉村氏だが、史料の博捜と発掘、綿密な取材にかけては、どんな作家にも負けなかった。徹底した実証主義、現場主義の姿勢をまっとうして、揺らぐところがなかった。
もっとも、それは吉村氏の作家としての顔であり、人間としての一面はほとんど知られていない。それは、氏が担当編集者を例外として、文壇付き合いをしなかったためでもある。プライバシーを大切にした氏は、ことに重篤な病を得てからというもの、親しい人にもそれをひた隠しにして、自分の美学をつらぬこうとした。
そうした吉村氏に、読者は隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を抱いたに違いないが、ここにそのもどかしさを埋めてあまりある、貴重なオマージュが捧げられた。ほかならぬ氏の夫人、津村節子さんによる本書である。この本は小説のかたちをとっているものの、吉村一家の病気との闘いを克明につづった貴重な闘病記録になっている。三人称で記述しなければ書き手たる自分を客観化できないという、文学者としての夫人のつらさと厳しさが、痛いほど伝わってくる。
小説のかたちをとりながら、この本は文学を超えた内省的告白の書、といってよい。著者は妻であると同時に文学者でもあり、そこに当然、内的な相克があった。そしてそのことを夫もまたよく承知しており、看病する妻の仕事をしきりに気遣う。芥川賞受賞者の妻と、受賞を逃した夫のあいだには、うかがいしれぬ葛藤もあっただろう。
巷間(こうかん)伝わるところでは、吉村氏はみずから点滴管をはずし、従容として死を選んだという。だが、それは単なる結果にすぎない。最後のときまで、氏は癌(がん)と壮絶きわまりない闘いを繰り広げ、夫人を含む家族も死力を尽くして、それを支えた。十二分に闘ったからこそ、家族もまた氏の自死的行為を神聖なものとして、受け入れたのだ。そこにいたるいきさつは、まことに月並みな表現で恥ずかしいが、涙なしには読めなかったことを、正直に告白する。体の奥から絞り出される、このような痛切な叫びの記録を、書評というかたちで紹介するのは、しんからつらいものがある。
ちなみに、吉村氏は評者の高校の大先輩であった。文壇付き合いは無理としても、先輩後輩の付き合いならば受け入れてもらえたのではないかと、今になって後悔すること、しきりである。
朝日新聞 2011年8月7日
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