書評

『大いなるナショナリスト 福澤諭吉』(藤原書店)

  • 2025/06/16
大いなるナショナリスト 福澤諭吉 / 渡辺 利夫
大いなるナショナリスト 福澤諭吉
  • 著者:渡辺 利夫
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2025-01-28
  • ISBN-10:4865784497
  • ISBN-13:978-4865784497
内容紹介:
「立国の公道」はナショナリズムである

「欧化主義者」「文明開化論者」「啓蒙思想家」に偏った福澤諭吉像を刷新し、現代日本に求められるその思想の核心に迫る!
(本書は海竜社刊『士魂――福澤諭吉の真実』を改題、加筆修正したものです。)

過去世代との連帯の「すゝめ」を描く

福澤諭吉は幕末を33年、維新後を33年間生き、「読書渡世の一小民」として健筆を振るった。幕末に欧米へ渡り、科学技術を学び社会制度を観察。塾頭であった蘭学(らんがく)塾を慶應義塾と改名、思想書を出版し、明治15(1882)年以降は創刊した『時事新報』紙上で時論を担った。

福澤は明治日本で国民の権利と自由を守る「近代国民国家」の建設に道筋を与えた、というのが政治思想周辺の通説である。それに対し本書は原文と平易な現代語訳を多数引用、福澤自身の言葉で通説を覆し、その多面性を浮き彫りにしている。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と始まる『学問のすゝめ』(明治5年)は西欧起源の天賦人権説や社会契約説を紹介し、文明開化を説いた書とみなされている。その立場からすれば、儒教を中心とする封建時代の旧慣は捨て去るべき遺風である。

けれども開発経済学の専門家でもある著者には、『文明論之概略』(明治8年)で福澤が文明開化の理想のみ論じたとするのはイデオロギーに偏した読み方に映る。著者は現実主義者でもあった福澤が、結論部では「国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり」と転調した点に注目する。

欧米列強はアジア各国を植民地とし、日本に向け朝鮮半島を目指してロシアが南下しつつあった。万国公法(国際法)は対等な国際関係を保証するとするものの、帝国主義においては「文明国」間にしか適用されず「未開国」は教化の対象であった。小国で条約と公法で独立を保った例はなく、兵力以外に頼るべき手段はない。『通俗国権論』(明治11年)では、「万国公法は数門の大砲に若(し)かず」と述べる。

だが本書の福澤解釈が際立つのは、その先だ。福澤は独立を守る精神の根源を、武家社会の士風、士魂に求めたとみなすのである。廃藩置県や江戸城無血開城を断行し明治維新の立役者となった西郷隆盛は、西南戦争で不平士族とともに死を選び、賊軍の巨魁(きょかい)として御用ジャーナリズムから批判を浴びた。福澤は明治10年の『丁丑(ていちゅう)公論』(公表は34年)で擁護の論陣を張り、西郷が士族を重んじたのは世襲の家禄ゆえではなく、旧慣である気風によるとした。士風とは一身を賭して正義を説き続ける武士のモラルである。

旧制度の破壊には既存勢力の痛みが伴い、尊厳までも踏みにじる暴政は反乱を呼び起こす。『学問のすゝめ』でも、政府の暴政を批判するには「正理を守(まもり)て身を棄(すつ)る」マルチルドム(martyrdom)、すなわち殉教、殉死を覚悟せよと説いていた。尊攘家が明治維新で開化を唱え華美な生活を送るのに憤った福澤は、『瘠我慢之説』(明治24年、公表は34年)において、幕府の重臣でありながら幕藩体制に幕引きし維新後は新政府に重用された勝海舟と榎本武揚を糾弾した。政府の厚遇を痩せ我慢で辞退すべきだという。

文明化と富国強兵を主導した大久保利通や岩倉具視の専制は武士階級を無情に切り捨て、日本は後にみずから帝国主義者の側に立つことになった。進歩には新機軸のみならず、古き良き慣行、排除される側への共感が求められる。福澤は過去世代との連帯を訴えたがゆえに「大いなるナショナリスト」であった。本書は福澤の透徹した視線が現代にも及ぶと示唆している。
大いなるナショナリスト 福澤諭吉 / 渡辺 利夫
大いなるナショナリスト 福澤諭吉
  • 著者:渡辺 利夫
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2025-01-28
  • ISBN-10:4865784497
  • ISBN-13:978-4865784497
内容紹介:
「立国の公道」はナショナリズムである

「欧化主義者」「文明開化論者」「啓蒙思想家」に偏った福澤諭吉像を刷新し、現代日本に求められるその思想の核心に迫る!
(本書は海竜社刊『士魂――福澤諭吉の真実』を改題、加筆修正したものです。)

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年5月3日

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