書評
『鯨を生きる: 鯨人の個人史・鯨食の同時代史』(吉川弘文館)
その身のすべてを利用し共に生きてきた「鯨人」の証言
鯨は、現代社会に何をもたらしたか。あるいは、鯨との関わりによって、私たちは何を失ったのか、失いかけているのか。これらの問いに対する答えを、社会学者である著者が明快に可視化する。本書は、捕鯨問題に囚(とら)われて見逃しがちな、鯨と私たちとの深い関係を問い直す重要な一冊だ。鯨とともに生きてきた人々、つまり「鯨人(くじらびと)」の声や気配が色濃く立ち上がる。社会学の方法論として三年間行われた、さまざまな地域で捕鯨や鯨産業に従事してきた個人史の採録。六様の人生から紡ぎだされる六人の語りに引き込まれる。解剖士、砲手、母船の「出稼ぎ大工」、市場での小売り主、加工製造業者、料理屋の女将(おかみ)。能(あた)う限り正確に採録された土地の言葉には、みっしりと持ち重りがある。
かつての商業捕鯨の時代。1960年、南氷洋に出漁した宮城県石巻市の奥海良悦さんは、「わだしの人生は解剖一代」。「包丁で切るんでねぐ、包丁で切らす」「剣術だったら、寸止めだね」、巧みな技を語る。人生を回顧する言葉「鯨ど海に取り憑(つ)かれたんだっちゃ」から伝わってくるのは、鯨という生き物の壮大な力だ。いっぽう、捕鯨の花形、砲手を務めた和泉節夫さんは、砲撃がもっとも難しいのはツチクジラだと明かし、妻の諄子さんは「夜ともなれば、『捕った』、『捕らない』の情報は、すぐ家族にもわかります」。砲手は、土地の経済をも背負う存在なのだ。捕鯨船の「出稼ぎ大工」という存在も初めて知った。鯨は脂が多く、滑るため船体の傷みも早い。母船ひとつに十軒分の家が建てられる修繕木材を積んでいたというから驚く。
商業捕鯨が停止され、調査捕鯨に切り替わったのち、鯨に関わる人々は大きな転換を迫られた。その詳細を語るのは、「鯨を商う」三人の個人史だ。小倉・旦過(たんが)市場で小売りを商う鯨肉店店主、鯨肉入り魚肉ソーセージ・ハムの製造に従事してきた工場長、世界で唯一の鯨料理専門書まで著した大阪の料理店の女将。彼らが独自に結んできた鯨との関係から、現代社会が多角的に浮かび上がってくる。小売店では、細かな部位に希少品としての付加価値を与え、懸命に販路を模索中だ。料理店では、それまで見向きもされなかった舌をサエズリと呼んで料理に生かすなど、食文化に一石を投じてきた。
この過程こそが、鯨を徹底的に利用しつくすという『鯨肉調味方』の精神の継承であり、無形文化としての不可視な性質といえるのではないだろうか。
『鯨肉調味方』は、江戸後期に刊行された肥前地域における鯨各部位七十種の調理指南である。ただし、本書が着目するのは、時代や食文化の領域を超え、多様な形で社会そのものに関与する鯨の「不可視な性質」だ。
第三章「鯨で解く」は、鯨食の同時代史を掘り起こし、「鯨人」六人の個人史を歴史のなかに置き直す。戦前の南鯨は鯨油生産に特化していた、冷凍鯨肉を必要とした集団は軍隊ではなかったか、さらには、戦後おおいに普及したマーガリンや魚肉ソーセージは、鯨なくしては現れなかった事実。つまり私たちは、見えざる形で鯨からの贈与を受け続けてきたのである。
本書から浮かび上がるのは、鯨がもたらす驚くべき多様性だ。あらためて鯨への興味が刺激され、畏敬(いけい)の念が湧き上がる。