書評
『水都ヴェネツィア』(法政大学出版局)
人と自然と建造物が有機体となって生きる街
たいていの人にヴェネツィアはイタリア観光の目玉である。ツアーコースをあわただしく廻(まわ)って、あわただしく去っていく。有名な大運河はゴンドラの往きかうところ。これまた有名なサン・マルコ広場はおみやげを買うところ。建築史家・陣内秀信にとっては、ここはごくふつうの人がふつうの生活をしている町である。ゴンドラ以外にも大運河には郵便船、ゴミ運搬船、霊柩(れいきゆう)船、救急船、引越船……ありとあらゆる用向きの船が走っている。水上バスと水上タクシーはひっきりなし。
サン・マルコ広場はアックア・アルタ(高潮による冠水)被害のバロメーターだ。広場が水につかると、水の都が「沈みゆく都」として全世界に打電される。
若いころ、この街で暮らし、建築史を学んだ。より正確にいうと建築史の学び方を学んだ。さしあたりは水都ヴェネツィアが教材になった。以来、半世紀ちかい研究のなかで、教材がさまざまにふくらんだ。だからこのヴェネツィア学の集大成には、「水都史から見た東京との比較」の章がある。「水を現代に生かす都市づくり」にも一章があててある。「交易都市から文化都市へ、そして環境都市へ」の終章はイタリアの水都にかぎらない。世界都市TOKYOのスローガンにも使えそうだ。あるいは横浜、大阪、神戸、長崎――。新しい町づくりに苦労している人々に、ゴンドラの町がヒントを与えてくれるかもしれない。
ヴェネツィアにもかつて運河の埋め立て、浅瀬や湿地の工業地帯への造成があった。みるまに水循環がそこなわれ、エコシステムが総崩れした。近代開発への反省から1980年以後、都市再生、水環境の再生へと大きく踏み出した。
東京では64年のオリンピックに際し、水路上に高速道路を造り、小河川は埋め立てるかコンクリートの蓋(ふた)をした。東京湾の大がかりな埋め立てで、水都東京は消滅寸前。ようやく70年代後半から水辺復権の動きが始まったが、バブル経済の到来でウォーターフロントは高層ビルの波にのまれた。2020年の再度のオリンピックには競技場や選手村がベイエリアに集中している。水都東京再生が声高に言われるにちがいない。
ほかにも水害の防御と水の活用、舟運と港の機能、あるいは市場と広場のあり方、周辺地域とのかかわりなど、興味深い比較のテーマがどっさりある。とともにその中から、おのずと印象的なちがいが浮かび出る。
(ヴェネツィアの)70ほどの教区にはカンポという地区広場があるのに対し、都市全体の統合の中心として、サン・マルコ広場が形成された。
イタリアの場合は広場が教区の、また都市の中心部にあるのに対して、日本では「都市の周辺部」に位置している。さらに「国家の意思を反映した運営か地域の自治による運営か、モニュメンタルな建築で囲われるか仮設か」。歴史的な経過を述べたものだが、現状もまたかわっていないだろう。
建築史家はつつましく口に封をしたが、都市の考え方が大きくちがう。そこの建造物は、長い時をかけて生きるもの。その過程で都市の中の生きた有機体となり「アドリア海の真珠」が生まれた。ひたすら経済効率だけでブッ壊してまた造っても「持続的発展」は望めない。
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