書評
『岸部のアルバム―「物」と四郎の半生記』(夏目書房)
岸部四郎における物と言葉
わたしには物を収集するという趣味がない。趣味というかそういう発想が欠けているのではないかと思う。確かに、職業柄、本はたくさん持っているが、高価な初版本などほとんどない。だいたい、どこになにがあるのかわからないので、読みたい時に本が見つからない。だから、しょっちゅう同じ本を買う。で、その後、捜していた本が出現する。この前じっくりと本棚を眺めていたら『長いお別れ』の文庫本が四冊もあった。大馬鹿者だ。
たぶん、わたしは極端に面倒くさがりなので、なんにせよ収集したり整理したりする根気がないのだと思う。だから、コレクションとはまったく縁がないと思っていた。ところが。
わたしがテレビ番組でご一緒している元巨人軍の江川卓さんはたいへんなワインマニアである。当然のことながら、江川邸には(ワイン好きにとっては)垂涎のコレクションがある。わたしも江川さんにご馳走になるようになってだんだんワインにはまってきてしまった。ワイン業者の広告に「シャトー・ラフィット・ロートシルト76・マグナム」なんてのが載ってると「欲しい!」と思わず叫んでしまう(とうとう買っちゃったけど)。
コレクションといっても、ワインの場合は他のコレクションとはだいぶ趣が違う。なぜなら、ワインは呑まねばならず、呑めば味覚(と嗅覚)の記憶だけを残して消滅してしまうからだ。消え去るためのコレクションも存在するのである。
ところで、岸部四郎である。
只者ではないとは思っていた。ワイドショーの司会者はずいぶんいたが、彼ほど変な人はいないだろう。とにかく、自分がやっている番組にまったく興味がないのである。いや、テレビそのものに興味がない。そんな感じがしていた。確かに只者ではなかった。それが、『岸部のアルバム』(岸部四郎著、夏目書房)を読み終えての感想だった(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996年頃)。
岸部四郎はコレクターだ。最初に集めはじめたのが初版本。テレビドラマに出たのがきっかけで幕末群像や明治期の文人に興味を抱き、その頃の初版本を集め出す。その理由というのが、「文庫本で読んでも、漱石は漱石に違いない。しかし、なぜかぼくには物足りなかった。『漱石を理解するには、当時の雰囲気を感じながら読まなければ真の理解はできない』という思いにとり憑かれ、苦労して初版本をさがしては耽読した」
いや、それだけでは満足できず「アパートをひとつ借りて」、座卓も座蒲団も書棚も火鉢も同時代の物を復元して「漱石山房」を出現させ、和服(もちろん京都の呉服屋に頼んで作ってもらったやつ)を着て読むのである。そして「初版本や作家の周辺の小物に凝ると、いやでもその居間や書斎に置かれているものが気になって」きて、民芸品を集めるようになる。そこから先は、きりがない。岸部四郎のコレクションは、トランク、絵画、アンティックの時計、ギター、ヴィンテージジーンズ、アールデコのランプ、ブリキ玩具……。
狂ったように集めては飽きて、売り払う。そしてまた集める。そんな生活をしているから妻とも離婚してしまう。しかし、ちっとも後悔なんかしない。由緒正しい「風狂の人」はまだいるのである。
いまふと思ったが、世界中の言葉を全部コレクションにしようと思ったのがジョイスで、そのコレクションを全部売り払おうとしたのがお弟子のべケットだったのかもしれませんね。
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