書評
『蟹工船・党生活者』(新潮社)
今なぜ『蟹工船』なのか
初版は八十年前の一九二九年。新潮社では毎年五千部を増刷してきたが、二〇〇八年は六月四日現在で累計二十五万部という。今なぜ大ブームなのか(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2008年)。二〇〇〇年に作家の荒俣宏が『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書)を書いた。プロレタリア文学についての荒俣流の読み方が開陳されていた。プロレタリア文学は、ホラー小説であったり、ポルノ小説でもあったりするのだ、と。そんな読み方もできるのかと思ったものだが、そのときは、「蟹工船」がブームになったわけではない。
ベストセラーの仲間入りをするには、社会問題としての現代的意味づけが必要である。少数の読書人は変化球を好むが、読書人の多数派は直球好みの社会派であるからだ。そう考えれば、『毎日新聞』や『朝日新聞』が現代のワーキングプアの労働環境との関連で「蟹工船」を紹介し、その意味づけをしたことが大きい。
「蟹工船」は二人の漁師がデッキの手すりに寄りかかって「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」で始まる。凄惨な労働をこれでもかというほどに描いている。監督は火の中においた鉄棒を働きの少ない漁夫の身体にあてて懲らしめる。漁夫の寝床のあるところは、蟹の臭いが充満し不潔きわまりない。「糞壼」とよばれている。ボロ船に集められた季節労働者はたしかに現代のワーキングプアのようである。
しかし、本書はあくまでプロレタリア小説。3K(危険、汚い、きつい)だけを描いているのではない。「支那人」がロシア人をさして「ロシア、働かない人いない。ずるい人いない。人の首しめる人いない」というあたりが真骨頂である。
だが、いまどきの読者がこんなロシア(旧ソ連)像に真実性を感じるだろうか。
「蟹工船」とともに収められている小説が「党生活者」。軍需工場の共産党細胞がストライキの仕掛けをして成功する場面がある。「こうまでとは思わなかった! 大衆の支持って、恐ろしいもんだ!」。これもプロレタリア文学の要だが、このような共産党員のエリート意識にも時代を感じるはず。現代的インパクトと同時に時代を感じさせられる違和感。このあたりを読者はどう処理しているのだろうか。それを知りたくなる。
週刊東洋経済 2008年6月21日
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