書評
『小松帯刀』(吉川弘文館)
維新の大局を支えた若き政治家の真実
政治の大きな転換期には様々な人間が登場しては消えてゆく。その際、新たな主張を掲げ、その目標に向かって邁進(まいしん)していった人物に人々の目が向けられるのは当然であろう。しかし彼らだけでは政治は動かない。政治の局面を大きく変えうる人物が必要となる。幕末・明治維新期の政治の流れを見てゆくと、前者を代表するのが坂本竜馬とすれば、後者を代表するのは誰であったか。それが小松帯刀清廉(きよかど)であったことを本書は雄弁に語っている。奇しくもこの二人は同い年であった。
NHKの大河ドラマ「篤姫」で広く知られるようになったこの帯刀について、もっと本当のところを知りたいと思っていたところ、出版されたのが本書である。過日、鹿児島の日置にある帯刀の墓に赴いた時、ドラマ放映時の賑(にぎ)やかな面影は今やないといわれて、帯刀の真実の姿を知りたいと思ったのだが、本書によってその欲求が満たされた。
帯刀の小松家とは、平清盛の子重盛が六波羅に設けた邸宅である小松殿に由来し、その系譜を引く家として立てられたものという。この由緒からして、下級武士出身の多い幕末の志士たちとは違うところがあった。また薩摩藩の家老に取り立てられ、海軍整備にあたるなど広範な活動をしているのも、他とは大いに違っていた。
「国父」島津久光に取り立てられた帯刀は、その右腕として諸侯や朝廷での根回しを行うなか、「すこぶる度量あって、しかも才識あり」といった評価が高まってゆく。攘夷派で固まっていた薩摩藩のなかにあっても、密(ひそ)かに開国の必要性を認識し、大局的な立場で動いた。著者はそうした帯刀の行動を、新史料の発掘と従来の史料の読み直しにつとめて、明らかにしてゆく。
『企業勃興』『日本資本主義史論』などの著書で知られる明治期の経済史を専門とする著者が、経済史家らしい薩摩藩の財政や海軍整備の分析を交えつつ、帯刀の活動を幕末史のなかで、揺るぎなく位置づけてゆく。
特に大政奉還における帯刀の行動の実際と、その評価は圧巻である。従来、薩摩藩は倒幕派として西郷隆盛や大久保利通らが倒幕の密勅を「入手」して動いていたことが重視されていたが、著者はそれでは自爆する恐れがあったため、帯刀は大政奉還のシナリオにそって動いていたことを明らかにしている。
大政奉還の建白は土佐藩の後藤象二郎が出したものだが、それに乗って、大政奉還を朝廷に受け容(い)れるべく強力に動いたのが帯刀であり、帯刀がそのためにいかに立ち回ったのかを活写する。将軍徳川慶喜からも高く評価された、その人間的魅力も浮かび上がらせている。
京に出てきた時には、島津家と縁故の深い近衛家の別荘「花園」を宿所として活動していたことなど、推測でしか語られていなかった帯刀の活動をしっかりと確定している。
こうした人物であれば、その後の活躍も大きく期待されていたが、生来の病気があり、竜馬が凶刃に倒れて若くして散った三年後の明治三年に三十六歳で病により惜しくも亡くなり、維新政治の担い手とはならなかった。
とはいえ、意外にこの早くからの病気が、人々を見る観察力につながっていたのかとも思えた。その病を京で看病した女性との間に生まれた子を後継者に据えたために、一騒動あったというのも、また人間臭く興味深い。
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