書評
『地図と領土』(筑摩書房)
小説中に著者本人が登場し、出版後には誘拐された……という映画が作られた!?
ミシェル・ウエルベックこそ現代でもっとも重要な作家だと言ってもいいだろう。『素粒子』でセックスにとりつかれた現代人の原理的孤独を暴いたウエルベックは、その後もひたすら身も蓋もなさ過ぎる真実を暴きつづけ、愛の不在と人間の孤独をえぐりつづけている。ウエルベックはしばしばSFを書くが、それは現実においては救いの回路はすべて閉ざされているからだ。もはや救いはファンタジーかSFの中にしか存在しないだろう。あるいは二次元にしか、と言ってもいいかもしれない。ウエルベックの最新作『地図と領土』もまた孤独についての物語である。主人公のジェド・マルタンはアーティストである。彼は本能のおもむくまま、金にも名声にも興味を持たず、ただ自分の信じる美のために製作をつづける純粋なアーティストである。人によっては理想化されすぎており、現実ばなれしていると言うかもしれない。この小説はそんなアーティストの一代記である。ジェドは幼少時から傑出した才能を見せながら、その能力を古典的美術には向けようとせず、むしろ精緻な職人的作業に情熱を注いだ。写真を見いだしたジェドは工業産品のできるだけ美しくニュートラルな写真を撮ることに集中する。ポートレートでも風景でもなく、あくまでも工業製品を。ジェドは人間の行為、人の創造物を描きつづけた。
やがてミシュランの自動車地図を見いだしたジェドはたちまち夢中になり、半年かけて地図の撮影を続ける。グループ展で写真を展示すると、たまたまそこにミシュラン社の広報担当者が居合わせた。ミシュラン社の敏腕宣伝マンの力も借りてジェドは「地図は領土よりも興味深い」というタイトルの個展をひらく。この展覧会は大成功をおさめ、ジェドは一躍時代の寵児に躍りでる。
金も名声も手に入れたジェドだが、延々と地図の写真を撮りつづけることに飽きたらず、新たな方向に舵を取る。その新しい個展のカタログには箔をつけるために作家の文章がほしい。ついてはフランスを代表する作家ミシェル・ウエルベックに……。
はあ?
というわけでなぜかウエルベックの小説中にウエルベック本人が登場し、作中人物相手に延々と愚痴っていたりする。「確かにわたしは、人類に対してはかすかな連帯心しか抱いていません……所属意識が、日に日に薄れつつあるというべきか」とか、いかにも人間嫌いのウエルベックが言いそうな文句である。別にギャグで書いているわけではなく、ウエルベックの登場までがこの小説のたくらみの一部である。これは芸術についての小説なのだから、自分について語らないわけにはいかないのだ。だが、それにしてもウエルベックのプライドと卑下が入り交じった描写はなんともユーモラスである。物語はこのあとまさかの展開を遂げ、フランス本国でも大いに話題になったという。出版時には記者会見も予定されていた。ところがこの記者会見にウエルベックは出てこなかった。それからしばらくまったく音信不通になって、誰とも連絡が取れなくなってしまった。これはただのすっぽかしではないのではないか? 何やら事件に巻き込まれたのではないか?
そう……実はウエルベックは誘拐されていたのである!
……という映画が作られたという。
今年のベルリン映画祭に出品された『L’enlèvement de Michel Houellebecq』(ミシェル・ウエルベック誘拐事件)という映画は、そのウエルベックばっくれ事件に基づくセミ・ドキュメンタリー映画である。ウエルベックはウエルベック本人として登場し、ぶつぶつ文句ばかり言っている。ある日家に帰ろうとすると、エレベーターで巨大なスチール・コンテナを抱えた3人組と一緒になる。コンテナにはなぜか空気穴が開いている。そして……。
一味の隠れ家に運ばれたウエルベック、いろいろ言わずもがなのことを言って相手を刺激したりするのだが、誘拐犯のほうもどうも規律がとれておらず、だんだん仲良くなってしまう。しまいに一味にいた総合格闘技の元選手(元MMAのマチュー・ニコル)から関節技を教わって技の掛け合いまでしてしまう……。
いや、なんなんですかねこの映画。クソまじめなくせに妙なおかしみをかもしだすウエルベック、まるでウディ・アレンの演技を見ているかのようにおかしい。なんでこんな映画を作ろうと思ったのかという点まで含めて、深く追究してみたくなる。まだいろいろネタが隠されていそうなウエルベックなのであった。
映画秘宝 2014年5月号
95年に町山智浩が創刊。娯楽映画に的を絞ったマニア向け映画雑誌。「柳下毅一郎の新刊レビュー」連載中。洋泉社より1,000円+税にて毎月21日発売。Twitter:@eigahiho。
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