書評
『赤頭巾ちゃん気をつけて 改版』(中央公論新社)
手元にある中公文庫版は1980年発行の25版で、私は高校1年のときに読んだ。単行本が出てから10年以上経っているが、薫くんシリーズ最終作『ぼくの大好きな青髭(あおひげ)』が出たのは1977年のことで、まだ庄司薫さんは現役感があり、私のまわりの人はだいたいこのシリーズを読んでいた。
出版当時からサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』と比較されたけれど、ティーンエイジャーの饒舌体小説としては、日本語で思考された本作のほうが読みやすいし、後進の日本語作家の文体に強く影響したのは、どちらかといえば『赤頭巾ちゃん』ではないかと、私はひそかに思っている。
村上春樹さんは、春樹以降に出た作家たちに決定的な影響を与えた一人称文体で知られ、かつ、サリンジャーの翻訳者でもあるわけだが、読者の質問に答えた『少年カフカ』という企画の中で、『キャッチャー』と『赤頭巾ちゃん』シリーズを大学生のときに「リアルタイム」で読んだと答えている。村上さんの文体にも、『赤頭巾ちゃん』の影響はあると推測する。それから、『青髭』が出るのと同じ年、橋本治さんが『桃尻娘』を書いて小説家デビューする。女の子の饒舌体小説で度肝を抜いた『桃尻娘』も、『赤頭巾』シリーズの影響下に書かれたと言えるのではないだろうか。
大学紛争で東大入試が中止になった年の都立日比谷高校三年生、薫くんが語り手という設定じたい、いきなり読む若い読者には説明が必要だし、「サンパ」とか「ミンセー」とか「あなた、ケーコートーね」とか「ラリパッパ」といった当時の流行語には、いまや脚注が必要だろう。
そのうえ、感動的なラスト、薫くんがたどりつく「大きくて深くてやさしい海のような男になろう」という決意でさえも、「(ガールフレンドの由美が)無邪気なお魚みたいに楽しく泳いだりはしゃいだり暴れたりできるような」という前提に、現代の女性読者はひっかかるかもしれない。
けれど、久しぶりに読み返してこの「饒舌体」の(語義矛盾的ではあるが)ムダのない「饒舌さ」に驚き、かつ、柔軟な若い読者に、自分の頭で考える方法とプロセスを提示したことの功績にもあらためて思い当って、この本が自分を育てた一冊であることは疑いようもないと感じた。
なお、高校・大学時代に書いたが日の目を見なかった私の長編第一作は、あきらかに本作を真似した饒舌体小説だった。
出版当時からサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』と比較されたけれど、ティーンエイジャーの饒舌体小説としては、日本語で思考された本作のほうが読みやすいし、後進の日本語作家の文体に強く影響したのは、どちらかといえば『赤頭巾ちゃん』ではないかと、私はひそかに思っている。
村上春樹さんは、春樹以降に出た作家たちに決定的な影響を与えた一人称文体で知られ、かつ、サリンジャーの翻訳者でもあるわけだが、読者の質問に答えた『少年カフカ』という企画の中で、『キャッチャー』と『赤頭巾ちゃん』シリーズを大学生のときに「リアルタイム」で読んだと答えている。村上さんの文体にも、『赤頭巾ちゃん』の影響はあると推測する。それから、『青髭』が出るのと同じ年、橋本治さんが『桃尻娘』を書いて小説家デビューする。女の子の饒舌体小説で度肝を抜いた『桃尻娘』も、『赤頭巾』シリーズの影響下に書かれたと言えるのではないだろうか。
大学紛争で東大入試が中止になった年の都立日比谷高校三年生、薫くんが語り手という設定じたい、いきなり読む若い読者には説明が必要だし、「サンパ」とか「ミンセー」とか「あなた、ケーコートーね」とか「ラリパッパ」といった当時の流行語には、いまや脚注が必要だろう。
そのうえ、感動的なラスト、薫くんがたどりつく「大きくて深くてやさしい海のような男になろう」という決意でさえも、「(ガールフレンドの由美が)無邪気なお魚みたいに楽しく泳いだりはしゃいだり暴れたりできるような」という前提に、現代の女性読者はひっかかるかもしれない。
けれど、久しぶりに読み返してこの「饒舌体」の(語義矛盾的ではあるが)ムダのない「饒舌さ」に驚き、かつ、柔軟な若い読者に、自分の頭で考える方法とプロセスを提示したことの功績にもあらためて思い当って、この本が自分を育てた一冊であることは疑いようもないと感じた。
なお、高校・大学時代に書いたが日の目を見なかった私の長編第一作は、あきらかに本作を真似した饒舌体小説だった。