後書き
『ネット世論の見えない支配者:フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体』(原書房)
本書の著者ルネ・ディレスタは、スタンフォード・インターネット・オブザーバトリー(2024年解散)にて、ネット上のプロパガンダや嘘情報を研究していた。反ワクチン活動家から受けた攻撃の実体験にはじまり、ネット世論やフェイクニュースによる煽動が形成される過程にせまった書籍『ネット世論の見えない支配者』から、訳者あとがきを公開します。
さて、広報委員会の活動期間は1917年から1919年なので、米国ではまだ公共向けのラジオ放送がはじまっていなかった(ラジオ局の放送開始は1920年)。バーネイズたちのプロパガンダ活動にはラジオも使われたようだが、大衆に向けてのメッセージは主にポスター、新聞広告、集会での演説(ボランティア7万5000人をかき集め、作家や広告業者に指導させたうえでコミュニティー・センターなどで戦争支持の演説をさせたというのだから、これだけでも想像を絶する規模だ)をとおして発信された。
CPIのこの活動からもわかるが、情報発信にどのような媒体が利用可能か次第でプロパガンダの形態は変化し、誰が「見えない支配者」となり得るのかも大きく変わってくる。著者のルネ・ディレスタはプロパガンダを変えた技術革新の例として印刷機、ラジオ、インターネットを本書で挙げている。16世紀頭に起きた宗教改革では、マルティン・ルターの『九五カ条の論題』が印刷されてドイツ中に広められたことがなによりの推進力となった。カトリック教会の腐敗を批判するルターの言葉は簡潔で大衆にもわかりやすく、人々の心を動かしたのだろう。
同じく、技術革新が与えた力により大衆の心をとらえた宗教家として本書で紹介されるのが、1930年代の著名なラジオ伝道師、カフリン司祭だ。世界大恐慌直後で多くの者たちが苦しい生活を送る中、カフリンは大衆の苦しみを汲み取り、正義を説いた。しかし、問題となったのがこの正義だ。カフリンは民主主義を見限ってファシズムへの道を選ぶよう訴えかけ、ナチス支持をラジオで表明したのだ。ドイツ各地でユダヤ人コミュニティが一斉に襲撃された、「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」として知られる暴動を、カフリンがラジオで「ユダヤ人によるキリスト教徒迫害への正当な反応」としたのは明らかな偽情報と言える。そしてこの際、ラジオ局はすみやかにこれに対処し、カフリンの番組内で事実の錯誤があったことをすぐにアナウンサーが告げ、その後カフリンの発言が電波に乗った経緯を書面で説明し(番組放送前にラジオ局側は内容に嘘があると指摘し、カフリンは該当箇所を削除することで同意していた)、その後は彼の番組放送を取りやめた。
カフリンはもともと宗教活動で大衆から絶大な信頼を得ていたため、リスナーたちはこれに猛反発し、ラジオ局の前に集まって半年以上抗議活動を繰り広げた。
技術革新の最新の例、インターネットが生みだした「見えない支配者」、インフルエンサーと、そのフォロワーの関係はカフリンとリスナーのそれに酷似している。たとえばウェルネス系や健康系のコンテンツで高い人気を得るようになっていたインフルサーが、新型コロナパンデミックの期間中、新型コロナワクチンを疑問視し、接種しないよう勧めたら、彼女を信頼しているフォロワーはその言葉を信じ、もしも誤情報や偽情報を理由に件のインフルエンサーのアカウントが凍結されれば、不当な措置だとプラットフォーム側に集団で訴えるだろう。そして実際、そのようなケースは多々あった。
著者のルネ・ディレスタは新型コロナパンデミック中および米大統領選挙中に、噂の拡散の分析を行い、その対策法を模索した。そしてのちにそれを「情報検閲」と曲解され、20年も前の学生時代にCIAでインターンをした経験を「元CIA」とされるなど、自身が誤情報・偽情報を流されることになった。本書で示されている、嘘の噂の標的にされてしまった場合の対処法は彼女自身の体験にもとづくものだ。「見えない支配者」が影響力を行使する場はインターネットの登場により、オンライン上へ、プラットフォーム上へ変わったが、本書を読む限りではフェイスブックなどの各プラットフォームは、大衆へ明らかに悪影響をおよぼしている場合、彼らの力をどう規制すべきか、そもそも規制すべきなのか、明確な指針を持っていないようだ。ディレスタが説くこれからのプラットフォームのあり方は、ユーザーであるわたしたちひとりひとりが、他人事ではなく自分のこととしてきちんと考える必要があるものだろう。
[書き手]岸川由美(翻訳者)
オンラインの世界は透明性を確保できるのか?
「見えない支配者」という本書のタイトルは、「広報(PR)の父」と呼ばれたアメリカ人広報マン、エドワード・バーネイズが自著で使った言葉、「姿の見えない支配者」から来ている。第一次世界大戦中、バーネイズは米国内の世論を参戦へと方向づけるべく立ちあげられた広報委員会(CPI)に所属。いわゆるプロパガンダ活動を行うが、これが平時においても利用可能なことに気がつく。つまり大衆に製品やアイデアを売りこんで購買行動を起こさせる広告主やマーケティングの専門家たちもまた、世論を形成する力を持つ「見えない支配者」であり、同じ仕組みを利用して政治の世界で候補者を大衆に「売りこむ」こともできるのだ。そしてその際に重要なのは政策ではなく、大がかりな見世物(スペクタクル)だとバーネイズは考えた。さて、広報委員会の活動期間は1917年から1919年なので、米国ではまだ公共向けのラジオ放送がはじまっていなかった(ラジオ局の放送開始は1920年)。バーネイズたちのプロパガンダ活動にはラジオも使われたようだが、大衆に向けてのメッセージは主にポスター、新聞広告、集会での演説(ボランティア7万5000人をかき集め、作家や広告業者に指導させたうえでコミュニティー・センターなどで戦争支持の演説をさせたというのだから、これだけでも想像を絶する規模だ)をとおして発信された。
CPIのこの活動からもわかるが、情報発信にどのような媒体が利用可能か次第でプロパガンダの形態は変化し、誰が「見えない支配者」となり得るのかも大きく変わってくる。著者のルネ・ディレスタはプロパガンダを変えた技術革新の例として印刷機、ラジオ、インターネットを本書で挙げている。16世紀頭に起きた宗教改革では、マルティン・ルターの『九五カ条の論題』が印刷されてドイツ中に広められたことがなによりの推進力となった。カトリック教会の腐敗を批判するルターの言葉は簡潔で大衆にもわかりやすく、人々の心を動かしたのだろう。
同じく、技術革新が与えた力により大衆の心をとらえた宗教家として本書で紹介されるのが、1930年代の著名なラジオ伝道師、カフリン司祭だ。世界大恐慌直後で多くの者たちが苦しい生活を送る中、カフリンは大衆の苦しみを汲み取り、正義を説いた。しかし、問題となったのがこの正義だ。カフリンは民主主義を見限ってファシズムへの道を選ぶよう訴えかけ、ナチス支持をラジオで表明したのだ。ドイツ各地でユダヤ人コミュニティが一斉に襲撃された、「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」として知られる暴動を、カフリンがラジオで「ユダヤ人によるキリスト教徒迫害への正当な反応」としたのは明らかな偽情報と言える。そしてこの際、ラジオ局はすみやかにこれに対処し、カフリンの番組内で事実の錯誤があったことをすぐにアナウンサーが告げ、その後カフリンの発言が電波に乗った経緯を書面で説明し(番組放送前にラジオ局側は内容に嘘があると指摘し、カフリンは該当箇所を削除することで同意していた)、その後は彼の番組放送を取りやめた。
カフリンはもともと宗教活動で大衆から絶大な信頼を得ていたため、リスナーたちはこれに猛反発し、ラジオ局の前に集まって半年以上抗議活動を繰り広げた。
技術革新の最新の例、インターネットが生みだした「見えない支配者」、インフルエンサーと、そのフォロワーの関係はカフリンとリスナーのそれに酷似している。たとえばウェルネス系や健康系のコンテンツで高い人気を得るようになっていたインフルサーが、新型コロナパンデミックの期間中、新型コロナワクチンを疑問視し、接種しないよう勧めたら、彼女を信頼しているフォロワーはその言葉を信じ、もしも誤情報や偽情報を理由に件のインフルエンサーのアカウントが凍結されれば、不当な措置だとプラットフォーム側に集団で訴えるだろう。そして実際、そのようなケースは多々あった。
著者のルネ・ディレスタは新型コロナパンデミック中および米大統領選挙中に、噂の拡散の分析を行い、その対策法を模索した。そしてのちにそれを「情報検閲」と曲解され、20年も前の学生時代にCIAでインターンをした経験を「元CIA」とされるなど、自身が誤情報・偽情報を流されることになった。本書で示されている、嘘の噂の標的にされてしまった場合の対処法は彼女自身の体験にもとづくものだ。「見えない支配者」が影響力を行使する場はインターネットの登場により、オンライン上へ、プラットフォーム上へ変わったが、本書を読む限りではフェイスブックなどの各プラットフォームは、大衆へ明らかに悪影響をおよぼしている場合、彼らの力をどう規制すべきか、そもそも規制すべきなのか、明確な指針を持っていないようだ。ディレスタが説くこれからのプラットフォームのあり方は、ユーザーであるわたしたちひとりひとりが、他人事ではなく自分のこととしてきちんと考える必要があるものだろう。
[書き手]岸川由美(翻訳者)
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