自著解説
『兼宣公記3』(八木書店)
室町時代に朝廷と幕府の連絡役を務めた公家の記録
史料纂集『兼宣公記 第三』の刊行
これまで刊行を行ってきた兼宣公記も今回発刊する第三をもって最終巻となった。本巻は応永三十二年(1425)四月から正長元年(1428)七月までの記事、および前回の第一刊行後に見出した断簡・別記を補遺として、また特定の事案にかかる文書を巻冊にしたものを参考として収めた。
相次ぐ死
日記本文は正長元年(1428)七月までしか残されていないが、兼宣はその後永享元年(1429)九月十三日に六十四歳で亡くなる。この第三に収めた時期はまさしく彼の晩年といってよいだろう。ついに准大臣に昇進し出家を遂げたものの、体調を崩すことが増え(応永三十四年五月九日等)、またこの期間、崇賢門院(応永三十四年五月二十日)・足利義持・称光天皇(正長元年七月十九日)・日野資教(正長元年五月一日)・細川満元(応永三十三年十月十六日)らが亡くなったほか、兼宣の周囲でも、弟の竹渓周鳳(応永三十二年五月二日)、瑞雲院光海(応永三十五年三月二十九日)、そして妻(応永三十三年四月二十五日)を喪い、悲しみに暮れる様が記されている。実は「兼宣公記」最後の記事は称光天皇崩御の記事であり、これも併せて足利義持時代の終焉を感じさせられよう。なお資教や光海が亡くなった時期には死者が相次いだようで、三日病と称される疫病が流行していたことも記されている(応永三十五年四月十八日)。
新世代の登場
一方で新世代の動向も見られる。宣光の子、春龍丸のお食い初め(応永三十二年八月十五日)を始めとする記事は、当時の成長儀礼の様相を具体的に知ることのできる貴重な記事であり、兼宣の子新松丸の興福寺入寺記事(応永三十二年十一月十六日等)は仏門に入る貴族子弟を送り出す側からの記事であり興味深い。また、残念ながら籤引きの記事は欠くものの、義円が室町殿として嗣立されてからの数か月の記事は、他の日記とも併せ見逃せない記事が多い。たとえば最終的には義教による暗殺も疑われる形で殺害されることになる裏松義資との微妙な関係が既に露呈していること(正長元年五月二十八日)などがみえる。
政治・社会・文化
政治的な記事もこれまで同様に興味深い。称光天皇がその体調を悪化させるなかで、父の後小松上皇が伏見宮貞成を猶子としていることを理由に譲位を企てたこと(応永三十二年五月二十七日~閏六月二日)や、密告から露見した内侍所呪詛事件では、後に誤りであったと訂正はしているものの、やはり貞成にその疑いを向けていることなど(応永三十二年八月二十日条等)、自らに成り代わり得る、しかももともとは北朝の嫡流であった伏見宮に強い警戒感を抱いていたことが知られる。また天皇は女性関係をめぐって広橋家とも鋭く対立していた(応永三十二年十二月三日条等)。一方の後小松上皇は、こうした称光天皇の「怒り」を宥める立場にあり、実際種々に申し宥めている様子がうかがえるものの、一方で召次幸末佐にとどまらず、御所侍掃部助光重という人物への厚遇など、身分を超えた上皇の動きに廷臣が振り回される様子も垣間見られる(応永三十三年十二月一日等)。また社会的には、応永三十三年六月に松梅院禅能が幕府から麹業独占を許されたことに端を発する米価の暴落により、坂本馬借が蜂起したことが記される。
文化面での記述も興味深い。義持が鎌倉大教院の慈澄から万葉集について話を聞き(応永三十二年五月二日)、弘安礼節の書写や亡くなった兼宣妻が所持していた源氏草子をもとめていることなどが知られる(応永三十三年五月二十九日・七月一日等)。また義持はこの時期、盛んに仙洞・内裏で粥会を催し、自らが頭人となることもあれば、廷臣たちにもその沙汰を命じていることが知られる。粥会にどのような意味があるのか、今後の研究が期待される。芸能においても、後小松上皇、称光天皇ともにしばしば琵琶法師や猿楽師を招いており(応永三十二年七月二十二日等)、称光天皇は猿楽師を室町殿に遣わしてもいる(応永三十四年七月二日)。絵画についての記述も少なくない。義持が土佐行広に命じて兼宣の寿像を描かせていること(応永三十四年六月七日)、また祖父兼綱の正忌に近づくと、兼綱の肖像をかけ、そこに霊供を備えていること(応永三十二年九月二十五日)も知られ、公家における肖像の形成・存在やその活用法も興味深い。
死没が相次いだということもあり、医療に関する記述も少なくない。そのなかで注目されるのは、体調を崩した兼宣に対し、義満が明より取り寄せた「霊宝丹」なる丸薬を義持が下賜する記事である(応永三十四年五月十七日)。霊宝丹は陳外郎がもたらしたとされ、日本では透頂香として売薬されたことが知られるが、「蔭凉軒日録」延徳二年(1490)閏八月十四日条にみられる、陳外郎が亀泉集証に語った話と併せて考えると大変興味深い記事といえる。
以上のように、本最終巻も多彩な興味深い記事がみられるといえよう。
[書き手]
小瀬 玄士(こせ げんし)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程退学
東京大学史料編纂所助教
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