書評
『サバティカル―あるロマンス』(筑摩書房)
現代文学は悲しからずや
ジョン・バースの『サバティカル』(筑摩書房)が志村正雄さんの翻訳で出た。あとがきで志村さんも書いているが、この小説の人称の使い方は独特で、十年前ぼくがはじめてこの小説を読んだ時は、最初の部分が何度読んでもよくわからず、えーいそのうちわかるだろうと思って先へ進んでいってもやっぱり(あと、頻出する航海用語も)よくわからなかった覚えがあるのだった――というようなことを書くと、「そうか! 難解・深刻な現代小説なのか! ノー・サンキュー、ノー・モア・ゲンダイブンガク」といわれてしまうかもしれず、そういうふうに受けとられるのは本意ではないので、ちょっと別のことを書いてみましょう。でも、そのためには必要最低限の基礎知識がいるので、箇条書きにしておきます。いいですか。
①バースは世界でもっとも、かつ頑固に「革新的な(イノヴェーティヴ)」作家の一人である。
②バースはずっと「小説とは何か」をテーマにした小説を書いてきた。
③バースは愛妻家で禿げで冗談が好きで感傷的である。
はい、これだけ知っていれば『サバティカル』鑑賞の手引きとしては十分です。主人公(というのかどうか不明だが)は五十歳の作家志望の元CIA職員と三十五歳の「アメリカ文学ならびに創作の準教授」であるその妻で、彼らは長い有給休暇を利用して帆船で旅に出ている。そして、その間にいろいろなことが起こる。そういう小説である。それじゃあなんだかわからない? そうでしょう。そうでしょうけど、バースの小説をざっと説明しろという方が無理なのだ。わかってください、とはいえ、①、②という前提があるのだから、この小説でも、小説というか文学というかなんかそういうものがテーマになっていることが予想され、そして実際そうなっているのだが、その問題に頭を突っ込んでいくと極めてややこしいことになるので、やめときます。その代わり、とっときのことを書いておきますね。それは、
「この作品でバースがいちばん言いたかったこと」
なんと大胆にも、作者に代わって作者の本意を言っちゃおうというのだ。
彼ら夫婦は子供を作らぬことを黙契としている。だが、ラスト近く、妻はこう言って泣き叫ぶ。
あたしひとりでいるんなら、子供がいなくても我慢できるけど、あたしたちに子供がいないなんて我慢できない。狂っていると思うかもしれないけど、そうじゃないの。あなたは子供がほしくない、あたしは子供がほしくない、なのに、あたしは子供がとってもほしいの。家庭をもって友だちが来て! あたしは、あたしたちがノーマルで、いっしょにノーマルなことをしたいの、二人とも生まれてはじめてノーマルなことを。それなのにそれが叶えられない。あなたがあたしを必要としたとき、あたしはどこにいたの? どうして幼稚園時代から知り合わなかったの? ああ、フェン、あたしたち、愛し合ったのが不幸!
これはすべて文学の話。現代文学を背負ってきたバースの思いが凝縮されている。現代文学は「ノーマル」ではない。しかし、それ以外の道もないとするなら、孤独に進むしかないではないか。現代文学と「愛し合ったのが不幸」なのか? いや、それでも喜びに満ちて「彼ら」は愛し合うのである。
志村さん、素敵な翻訳ありがとう。バースの文学的遺言(?)にして、超感動的な『船乗りサムボディ最後の船旅』の翻訳もお願いします。 (事務局注:その後1995年に『船乗りサムボディ最後の船旅』志村正雄さん訳は講談社より刊行)
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