書評
『ヨーロッパ祝祭日の謎を解く』(創元社)
バレンタインチョコの起源は媚薬だった
今年も街では二月一四日のバレンタイン・デー狂想曲が奏でられようとしている。チョコレートが殺到するモテ系男にはいい日だが、チョコ・ゼロの非モテ系男には屈辱記念日以外のなにものでもない。「今年もチョコはひとつも届かなかった」という思いが、女性ではなくモノを愛するオタク志向を一段と強めたと告白する男性もいるほどである。ところで、天文学と考古学を結びつけた考古天文学の泰斗である著者によれば、女性が意中の男性にチョコレートを贈るというこの習慣、その起源を辿(たど)ると、古代ローマのルペルカリア祭に行き着くというが、この祭は「バイアグラの効果を試してみるための祝日のようなもの」だったから、男女のパートは逆だったようだ。
二月一四日、狼女神ルペルカルを祭った洞窟で生贄(いけにえ)のヤギを捧げた若者はそのヤギの皮で性器を覆い「大声で笑いながら(これが大切な点だった)走って丘の周りを一周する」。若者たちは途中で女性に会えば「ヤギの革紐で彼女たちを一人残らず鞭打つこととされていた」。この不思議なパフォーマンスは「女性の不妊症を治し、真冬の間に活動を停止していたあらゆるものの繁殖力を呼び覚ますためだった」。死の季節・冬が終わって豊饒(ほうじょう)の季節・春が始まるのを促すための祭だったのである。
では、この異教的な男女の求愛の祭典に聖バレンタインの名が付されたのはなぜかというと、これには色々な説がある。著者が有力候補として挙げるのは好戦的な皇帝クラウディウス治下の三世紀に生きた若き聖職者バレンタイン。皇帝は兵員不足解消のため既婚者は徴兵免除という制度の撤廃を目論んだが、バレンタインは従わず若者たちの結婚式を強行したため、捕らえられ、死刑の判決を受けた。だが、若者たちはバレンタインを支持し、獄中に花束や共感の手紙を送り届けた。このバレンタインの処刑された日が二月一四日に当たっていたことから、二〇〇年後、ローマ教皇によって聖バレンタインの祝日と認定された。
とはいえ、ローマ教会は古代ローマ的な肉欲愛との混同を避けたので、そのままバレンタインが「愛の聖人」となることはなかった。変化が起こったのは十四世紀、イギリス・ルネッサンスを担った『カンタベリー物語』のチョーサーが「鳥たちすべてがつがいになる日、バレンタインの日はそのためにある」と歌ってからである。「エリザベス朝のイングランドでは、恋に落ちた者は誰もがその対象に愛のしるしを贈ることが許される日とされていた」
現代のバレンタインデーのチョコレートはどうやらこのあたりに起源があるらしい。というのも、女性の中にはお目当ての男性に媚薬(びやく)の効果を持つ食べ物を贈ろうと「片手にナスとニンジンとバナナ、もう片手にはカキやイチジク」を持参したりしたからだ。この媚薬の食べ物が変化したのがチョコレートである。「チョコレートには、フェニルエチアミンという『愛の分子』が含まれている」。これに目をつけたのが一八九〇年代アメリカの菓子職人で、以来、「ハート型の箱に詰めたバレンタインチョコレート」がバレンタインデーの贈物リストに加わることとなる。
クリスマス、ハロウィーン、メーデー、イースターなど、今日でも盛んな祝祭日の起源が暦と人間の営みの関係という観点からやさしく、しかも学術的な厳密さをもって説き明かされている。今後、この種の「不思議発見」では不可欠の文献となるだろう。(勝貴子訳)
ALL REVIEWSをフォローする