書評
『築地魚河岸ブルース』(東京キララ社)
労働の質量が生み出す築地市場という名の「生命体」
築地市場に足を運ぶとき、いつも思うことがある。正門の手前、海幸橋のあたりで空気がすうっと一変するのだ。築地という町の空気から、築地市場という場の空気へ。さらには、その空気の流れを支配しているのは働く男たちだと気づくとき、築地市場という場に醸成されている魅力が沁(し)みてくる。
写真集『築地魚河岸ブルース』を手にしたとき、思わずにやりとさせられた。
魚が写っていない。
人間しか写っていない。
巨大な魚市場なのだから、夜明け前から取引される膨大な量の魚介がファインダーのなかに収まっていて当然のはずだが、ここには魚一尾の影も形もない。ページをめくるごと立ち現れるのは人間ばかり。しかも、ひとりひとりが発しているオーラが思いっきり濃い。
築地名物、個人用の運搬車ターレット(通称ターレー)に乗りこんで敷地内(あるときは場外も)を自在に行き交う、日に焼けたたくましい男たち。ターレーの大きなハンドルを握って仁王立ちする姿、ゴム長を履いて闊歩(かっぽ)する姿、カッパを着て自転車にまたがり雨に濡(ぬ)れる姿、みな舞台の主役のように味がある。仕入れ人の男や女たちも、舞台の登場人物さながら。あまりにも衒(てら)いがなくてちょっと照れてしまうけれど、人間に向けられたレンズの好奇心と共感がストレートに伝わってくる。
フリーカメラマンの著者は、あとがきでこう記している。
初めて河岸に連れて行ってもらったときのショックは鮮烈だった。人々の熱や息が激しくぶつかり蠢いている。毎日毎日大量の魚や野菜を受け入れ排出していく様はひとつの生命体のように感じられた。
築地は、江戸期に海が埋め立てられ、武家屋敷となった。海に隣接する地の利を生かして、この土地には大名たちが国もとから移送してきた物資を貯蔵する蔵が数多く並び、物も人も出入りが多かった。築地の成り立ちにはつねに人間が大きく関わっており、ここに注がれてきた労働の質量が現在の基盤を作り上げている。それが肌を通してじかに伝わってくるから、「生命体」と感じられるのだ。築地という土地が、時代に応じて変化を繰り返しながら栄えてきた中心にはいつも人間の働く姿があった。
べつの思いも湧き上がってくる--こんなふうに真正面から、築地市場で働く人々を一度見つめてみたかった。なにしろ、部外者がぼんやり歩いていると、遠慮のない野太い声が降りかかってくる。「オイッ、そこ!」「ちょっとどいてくれ」……問答無用の荒っぽさ。でも、少し慣れればすぐわかる。乱暴なのではなく、お互いの安全を確保するための掛け声のようなもの。「築地の常識は非常識」なんて築地っ子が言うけれど、この仕事場では鮮度を争っているのだ。
著者は、最初は魚を撮っていたが、人間に目が向いた。
威勢がよく、人好きで面倒見がよく、粋で、とにかく格好良いのだ。みんな本当に人生が滲み出たいい顔をしている。
その言葉通りの人々がずらり。深い皺(しわ)、隆起した筋肉、地に足のついた歩きっぷり、肝の据わった視線、堂々たる面構え。日本人も捨てたもんじゃないナと思えてくる。築地市場が育ててきたものの大きさがじんじん伝わってくる、貴重な記録だ。
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