書評
『水声』(文藝春秋)
尽きることない情愛
都(みやこ)と陵(りょう)は年子の姉弟(きょうだい)で、姉は五十五歳になる。母親が逝ってから十年がたち、四十歳に近くなったころ、二人はひとたび離れた生家にもどってともに暮らし始めた。きっかけは弟がある事件に巻き込まれ、「死」をかいま見たことだった。もし今日、人生が終わりを告げるとしたら誰と生きるのか。姉弟はどこまでも自分に忠実であろうとする。二人の間には秘密があった。「手をふれてはならないと決めた部屋がある。二階のひと部屋だ。扉には南京錠をかけた。陵が会社へゆき、一人で家にいるとき、南京錠の部屋からは音が聞こえてくる」と姉は語る。秘密には、いつも本人すら気がつかない秘密の奥の部屋がある。そこから響くのは時間と同時に過ぎゆくことのないもう一つの時を刻む音である。「動いてゆく時間と並行して、遮断され止まってしまったままの時間軸が、わたしの中にはたしかにある」とも彼女は言う。
目に見える「関係」という構造からだけでは理解できない、不可視なつながりが存在する。人間は、努力して「関係」を作ることは出来る。だが、本当の「つながり」が生まれるには、人間の営みとは別な何かが介在する。生きるとは、つながりを作り上げて行くことであると同時に、そこに隠された意味を発見してゆくことだともいえる。つながりはときに、世の常識を打ち破り、狭義の道徳、倫理の境域を超え、また、生者と死者の間を結ぶ。漢字では繋(つな)がりと書く。「繋」は、しばることを意味するように人は、それから容易に逃れることはできない。「どうしてもしようがなかったんだよ」と「パパ」は人生を振り返る。姉弟や「パパ」だけでなく、「ママ」をはじめ登場人物はそれぞれ、抗しがたい生の働きを感じながら生きている。しかし、不可避だからこそ尽きることのない深い情愛も生まれる。論理の世界では解決できない問いに直面する人々に薦めたい。今年指折りの秀作である。