書評
『アナイス・ニンの日記』(水声社)
自堕落で奇矯な悪魔の想像力
アナイス・ニンといえば、十一歳から七四歳まで続けられた四万ページの日記が有名である。しかし、日本で最初に訳出された『アナイス・ニンの日記』はじつはアナイス・ニンが自分の日記をもとにしてリライトした「創作日記」であったのだ(そのためこれは「編集版」と呼ばれる)。たとえばヘンリー・ミラーと出会ったときアナイスは独身であるように書かれているが、実際にはヒューゴー・ガイラーという夫とパリ近郊の村に暮らしていたし、アランディやランクといった精神分析医との関係も伏せられている。こうした事実が明らかになったのは一九三一年から一九三九年までをカバーする《アナイス・ニンの愛の日記 無削除版》がアナイスの死後、本人の遺志に基づいて刊行されてからのことである(その第一部は『ヘンリー&ジューン』として映画化)。そこにはミラーとの激しいセックス、あるいはアランディやランクとの赤裸々な関係が包み隠さず書かれており、女性の手になる性愛の記録として、これを超えるものはいまだに現れていない。ちなみに「無削除版」は現在、杉崎和子訳の『ヘンリー&ジューン』(角川文庫)、『インセスト アナイス・ニンの愛の日記[無削除版]1932―1934』(彩流社)で読める。
では、あらたに翻訳された本書はどのような訳書なのか? 「編集版」と「無削除版」の間に出版された四巻の「初期の日記」の大部分と「編集版」の抜粋からなる。しからば、「初期の日記」以外は既訳のある「編集版」と同じなのかというと、そうとは言えないところにアナイス・ニンの日記の複雑さがある。原著が膨大なため、抄訳をつくる必要から編集の妙が生じ、既訳とはテイストの異なるもう一つの「アナイス・ニンの日記」が生まれたからだ。思うに編集の勘所は「初期の日記」の一九二八年二月三日が訳出されているところにある。「わたし自身がふたりの女に分裂するのを感じる――ひとりは優しく貞淑、純心で思慮深い。もうひとりは落ち着きがなく、自堕落で、奇矯(ききょう)なふるまいをし、ふしだらで、さまよい歩き、生を求めてひるむことなく味わいつくし、罪の意識も自制心も、道義心のかけらもない悪魔。わたしはそれを、その呪いの根源である想像力(イマジネーション)にちなんで、『イマジー』と名づけよう」
こうして夫との幸せな日々のかたわら「イマジーの日記」が付けられてゆく。やがてヘンリー・ミラーが現れ、ついで、ミラーが「大嘘(うそ)つき」と呼ぶ妻ジューンが姿を現わす。
ジューンがわたしの方へ、庭の暗がりからドアの明かりのなかへ歩いてくるのを見たとき、わたしは生まれて初めて、この世で最も美しい女性を見た。(中略)彼女と会ったのは昨晩が初めてだ。でも、あの青白く光る肌の色、女狩人の横顔、美しい歯並びを、わたしはずっと前から知っていた
一言でいえばアナイスは「イマジー」をジューンの中に見いだしたのだ。それはジューンもまったく同じだった。その結果ヘンリー・ミラーが仲間外れにされる。「わたしたちがともに創造し、夢中になるこの強力な魔法は何なのだろう。(中略)ジューンとわたしが追い求めるもの、だがヘンリーが信じないものとは何だろう。不思議、不思議、不思議」
新たに訳出された「編集版」を通読すると、リライトがプライバシーへの配慮からというよりも、ジューンとの関係をより詳しく分析するために成されたことが分かってくる。この意味において、「編集版」こそが、アナイス・ニンの代表作だったのである。(矢口裕子編訳)
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