書評
『何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集』(白夜書房)
笑いをめぐるラディカルな思考を展開
中島らもが転落死して二年(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年)。その後も著作は何冊も出たが、本書こそ彼の〈最後の作品〉の名にふさわしい。総合誌「論座」に連載された評論「笑う門には」を収録しているからだ。笑いをめぐるこのエッセーは、中島らもの実質的遺言ともいうべきラディカルな思考を展開している。中島らもは「笑いとは『差別』だ」と断言する。同じことをフランスの劇作家で映画監督のマルセル・パニョルはこう表現していた。「笑いとは優者の劣者に対する優越的感情の爆発である」
例えば「センセーショナリズムとピーピング趣味とサディズムと吉本の芸人で成立しているテレビ番組」を見よ、と中島らもはいう。そこには愚かなものを見て、優越的感情をもって笑うという差別が構造化されている。だが、この愚かなものは愚かな視聴者のために作りだされた虚構にすぎない。そのからくりに嫌気がささないか、と著者は私たちに問いかけるのだ。
その一方で、ある人物にはこんなふうにも語っている。
なぜ人間は笑うのか。それは自己救済のためだ。他人を笑うことで自分を救っているのだ。だとするならば、その笑い=差別は、善悪をこえた人間の条件ではあるまいか。人間が絶望に追いこまれたとき、生きるための不可欠の手段ではあるまいか。
中島らもがそう語りかけたある人物とは、のちに自殺する落語家・桂枝雀だった。二人は朝の六時まで笑いについて語りあったという。
この夜の六時間をもしテープに録っておけばゆうに一冊の本が出来ただろう。買う人も多少はいたかもしれない。何故ならこれはショウマン派同士のセメント試合[真剣勝負]だからである。しかしそんなことは世故に長けた出版社の考えることだ。おれには思い出だけで十分だ。
この孤独な自負だけを武器に、中島らもは喜怒哀楽の喜と楽だけでなく、怒と哀にも踏みこんでいく。「笑う門には」のある回は、怒と哀を扱い、差別の問題に正面から切りこんで、雑誌への掲載を拒否された。この原稿も本書には完全収録されている。
朝日新聞 2006年10月08日
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