書評
『インフォーマーズ』(角川書店)
人間は時代の産物である。「いまどきの若モンは……」的発言はいつの世も絶えないけれど、感受性が強く自我が固まりきっていない若モンだからこそ、“いまどき”に影響されるというもので、第一その憂うべき“いまどき”とやらを作ったのは当の大人たちなのだから、時代の産物のありようたる若モンに文句をつける前に、まずは我がフリ直せってなもんだろう。
ドラッグとセックスまみれの生活に浸る西海岸のリッチな若者の退廃を描いたデビュー作『レス・ザン・ゼロ』、ウォール街のヤング・エグゼクティブという表の顔と、残忍な殺人鬼という私生活の顔を使い分ける男の、とことん表層的な日常を微に入り細をうがち描写した『アメリカン・サイコ』と、物議をかもす作品を世に送り出し続けているブレッド・イーストン・エリス。彼が描くのは消費行動と物欲に彩られた醜悪な八〇年代の産物としての若者像なのだが、その醜悪さをバブルで体験した日本人読者にとっても、彼の小説が切実であるのは言うまでもない。
デザイナーズ・ブランドの服を着て、外車を乗り回し、いい女を連れて、はやりのスポットで遊ぶ。そうした表層のカッコよさとそれを支える財力だけに価値を見いだし、しかし、そんなものに頼った生活はどこまでいっても空(むな)しく、その空しさはやがて精神の核を蝕(むしば)んでいく――。デビュー前から書きためていたスケッチ風の文章に手を加えたという、短編集のような体裁をとったこの作品には、八〇年代版いまどきの若モンの青春群像が標本のように即物的に描き出されている。断罪するでもなく、共感を寄せるでもなく、エリスの視線は徹底してクールなのだ。
そのクールな姿勢もまた、言ってみれば八〇年代的気分の産物だろう。反抗すべき強い権威もなく、高度成長期を背景に経済的に恵まれた子供時代を過ごしたニュー・ロスト・ジェネレーション(あらかじめ失われた世代)特有のシラけた気分。九〇年代版いまどきの若モンにとっても状況は似たり寄ったり、というか無力感はさらに強まっているとすら言えるのではないか。
年配の識者が苦言を呈するとおり、エリスの小説は「無内容」で「無意味」かもしれない。でも、ここで描かれている強烈な虚無感は、たしかに時代の真摯な産物ではあるのだ。日本でバブルの醜悪と徹底して向き合った小説が生まれていない以上、わたしたちはエリスを読むしかないではないか。
【この書評が収録されている書籍】
ドラッグとセックスまみれの生活に浸る西海岸のリッチな若者の退廃を描いたデビュー作『レス・ザン・ゼロ』、ウォール街のヤング・エグゼクティブという表の顔と、残忍な殺人鬼という私生活の顔を使い分ける男の、とことん表層的な日常を微に入り細をうがち描写した『アメリカン・サイコ』と、物議をかもす作品を世に送り出し続けているブレッド・イーストン・エリス。彼が描くのは消費行動と物欲に彩られた醜悪な八〇年代の産物としての若者像なのだが、その醜悪さをバブルで体験した日本人読者にとっても、彼の小説が切実であるのは言うまでもない。
デザイナーズ・ブランドの服を着て、外車を乗り回し、いい女を連れて、はやりのスポットで遊ぶ。そうした表層のカッコよさとそれを支える財力だけに価値を見いだし、しかし、そんなものに頼った生活はどこまでいっても空(むな)しく、その空しさはやがて精神の核を蝕(むしば)んでいく――。デビュー前から書きためていたスケッチ風の文章に手を加えたという、短編集のような体裁をとったこの作品には、八〇年代版いまどきの若モンの青春群像が標本のように即物的に描き出されている。断罪するでもなく、共感を寄せるでもなく、エリスの視線は徹底してクールなのだ。
そのクールな姿勢もまた、言ってみれば八〇年代的気分の産物だろう。反抗すべき強い権威もなく、高度成長期を背景に経済的に恵まれた子供時代を過ごしたニュー・ロスト・ジェネレーション(あらかじめ失われた世代)特有のシラけた気分。九〇年代版いまどきの若モンにとっても状況は似たり寄ったり、というか無力感はさらに強まっているとすら言えるのではないか。
年配の識者が苦言を呈するとおり、エリスの小説は「無内容」で「無意味」かもしれない。でも、ここで描かれている強烈な虚無感は、たしかに時代の真摯な産物ではあるのだ。日本でバブルの醜悪と徹底して向き合った小説が生まれていない以上、わたしたちはエリスを読むしかないではないか。
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