前書き
『豊田章男の覚悟 自動車産業グレート・リセットの先に』(朝日新聞出版)
はじめに
豊田章男は、さながら嵐の中に立つ一本の大樹である――。今、私たちの目前には、これまで当たり前と信じていた世界とはまったく違う景色が広がっている。2020年の新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的大流行)にはじまり、22年2月、突如としてロシアがウクライナに侵攻した。この2年有余で世界は、劇的に変化した。
コロナ禍によって、私たちの暮らしや働き方が一変したかと思えば、ウクライナ侵攻で世界は東西冷戦構造に戻った感がある。大嵐が吹き荒れている。
トヨタ自動車社長の豊田章男は22年3月9日、第3回「2022年春の労使協議会」の席上、次のように語った。
「今、世界は悲しく、やりきれない現実に直面しております。私は、ロシアによるウクライナ侵攻に対して、激しい憤りを感じております。戦争や対立は、誰も幸せにいたしません。今の瞬間も、想像を絶する苦しみや悲しみ、大きな不安の中で暮らしている方々のことを思いますと、かける言葉も見つかりません」
トヨタは、ウクライナ侵攻を受けて、「カムリ」や「RAV4」を製造していたロシア・サンクトペテルブルク工場の生産活動を停止した。
自動車産業は今、「100年に一度の大変革期」の真っただ中にある。変革の最大の波は、地球環境問題を受けた内燃機関からEV(電気自動車)への流れだ。EVシフトが加速度的に進むと思われていた矢先、ロシアによるウクライナ侵攻で水を差された。
日本の自動車産業を引っ張る章男は、次々と襲いかかる難題にいかに対応するのか。まさしく、厳しい時代に立ち向かう「覚悟」が問われる。「勇気」が求められる。
章男の最大の強みは、“クルマ愛"である。
「私は、誰よりもクルマを愛し、誰よりもトヨタを愛しています」
米国で大規模リコール問題が発生し、10年2月24日、米議会の公聴会に呼ばれ、証言した章男は、冒頭でそのように述べた。
世界の自動車メーカートップの中でも、彼ほどのクルマ好きはいないだろう。そこに、難局を乗り超える「期待」と「希望」がある。
章男は、豊田家の御曹司である。トヨタ自動車を創業した喜一郎から数えて3代目だ。章男の生涯には、つねにクルマが存在している。クルマ抜きの人生は考えられない。原郷である。宿命である。
章男が7歳の誕生日を迎えた1963(昭和38)年、父親の章一郎に連れられて、三重県・鈴鹿サーキットで開かれた「第1回日本グランプリ自動車レース」の見物に出かけた。父親からの誕生日プレゼントだった。幼かったとはいえ、日本における近代モータースポーツの夜明けの目撃者である。運命的な出合いといっていい。キーンと金属音を響かせ、空気を切り裂いて疾走するレーシングカー、後に漂うガソリンの臭い、ウォーッと波が盛り上がるかのような大歓声…………。彼自身、こう語っている。
「五感に残る原体験が、今の『モリゾウ』につながっている」
小さな心の奥深くに刻まれたその記憶が、後年、運命に導かれるように、トヨタ自動車社長でありながら、ドライバー「モリゾウ」という奇跡的な“二刀流〟を生み、未開の地を切り拓く。
運転免許証は、16歳になるとすぐに取得した。仮免許試験の実技で脱輪し、一度失敗している。免許取得直後、事故を起こした。自宅前でクルマがひっくり返った。病院に運ばれた。驚いた章一郎が慌てて病院に駆けつけたところ、「もう、いない」といわれた。瞬間、息子は死んだと、章一郎は思ったが、すでに家に帰っていたというエピソードがある。
初のマイカーは、トヨタの「コロナ」で、「大学生のとき、おばあちゃんが買ってくれた」と語っている。自分のお金でマイカーを購入したのは大学卒業後だ。中古の「カローラ1600GT」を手に入れた。
モータースポーツをはじめたのは、中年過ぎだ。遅咲きである。社内のテストドライバーの親分"からドライバーとしての手ほどきを受けた。特訓だった。46歳になっていた。その後、国際C級ライセンスを取得し、正式に海外レース参戦の資格を得た。
章男がドライバーネームとして「モリゾウ」を名乗ったのには理由がある。いざ本名で正式にレースに参戦するとなると、社内外から猛反対を受けるからだ。50歳を超え、副社長の要職に就きながら、レースに出るとは何事だ、危険だからやめろと戒められる。道楽が過ぎると、社内からも批判される。
そこで、本名を隠して、「モリゾウ」のドライバーネームをつけて出場した。出走するといっても、会社からは予算がつかないので、中古の「アルテッツァ」を手に入れた。チーム名も「トヨタ」の冠名をつけられない。そのため、「ガズー・レーシング」と名乗った。やっとの思いで世界一過酷なモーターレースといわれる「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」に出場した。
章男のクルマをめぐるエピソードは尽きない。章男は「クルマ好き」「カーガイ(クルマ野)」のおかげで窮地を切り抜けている。
例の米公聴会を終えたあと、夜のテレビ番組に出演した。CNNの人気トーク番組「ラリーキング・ライブ」だ。ラリーキングは、ズバリ本音で切り込むインタビュアーとして有名だった。キングは、章男に「覚悟」をたずねた。
「シャイだといわれているけど、この番組への出演は大丈夫か?」
「あなたの番組に出られて光栄です。これまでクルマが第一だと思い、自分が前面に出ることはしてこなかったが、もっと前に出ていくように考えを変えようと思う」
豊田家の人なのだからクルマ好きは当然と思われるのが嫌だったのだ。
最後に、キングから乗っているクルマをたずねられた。章男は答えた。「年間200台のクルマに乗っています。クルマが大好きなんです」
その答えを聞いたキングは、珍しく「ふふっ」と笑った。そして、いった。」
「すべてが好転するように祈っています」
エールを送ってくれたと章男は直感した。自分の気持ちが「伝わったかな……」と思った。彼の心はやっと晴れた。
それから半年後、章男はお礼をいうため、ロサンゼルスのキングの自宅を訪ねた。彼には、そういう義理堅さ、情がある。
何かが起きれば、彼は必ず「現地現物」を実践する。なぜか。現物を見れば、必ず何かを感じて、考える。思索する。それは、大切な時間だ。
リコール問題の引き金になったカリフォルニア州サンディエゴ近郊のレクサス暴走事故の現場も密かに訪ねた。事故現場に直接出かけ、犠牲者を弔うと同時に、事故現場から何かを感じ取ろうとしたのだ。彼は、公聴会が開かれた2月24日を「トヨタ再出発の日」と定めた。
さらに、モータースポーツといえば、彼はラリーや耐久レースなど年間優に10レース以上に参戦するが、初心者向けのラリー大会「トヨタガズー・レーシングラリーチャレンジ(略称ラリチャレ)」にも顔を出す。
「ラリチャレ」は、入門者向けラリーとして01年にスタートし、今年で22年目を迎える。ラリーは、舗装路や林間の砂利道、泥道を走ってタイムを競う。老若男女が参加し、80台から100台が出走する。ラリーの頂点がプロドライバーによるFIA(国際自動車連盟)の「WRC(世界ラリー選手権)」とすれば、「ラリチャレ」は底辺の大会だ。章男は、初心者たちと一緒に走る。ラリー競技の裾野を広げるのが狙いだ。
09年の社長就任後、章男は、リーマン・ショック後の大赤字、大規模リコール問題、東日本大震災など幾多の苦難を乗り越えて、トヨタを現在の姿にまで立て直した。それは、「トヨタらしさを取り戻す闘い」だった。経営者としての「第一ステージ」だ。
「第二ステージ」は、これまで以上に厳しい経営環境が予想される。コロナのパンデミックやロシアのウクライナ侵攻が重なり、もはや5年後どころか3か月先の経営環境さえ読みにくい。カーボンニュートラル(温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする)への対応も難題で一筋縄ではいかない。
しかも、競争相手はいまや、IT企業やベンチャー企業にまで広がった。競争領域も、ハードウェアの設計や生産だけでなく、AI(人工知能)をはじめとするソフトウェアや、新たなビジネスモデルの構築にいたるまで幅広い。
章男は、国内550万人の自動車産業が抱える雇用、そして日本経済を支えるため、嵐の中に敢然と立ち続ける。かつてない危機を乗り切り、重責を果たす「覚悟」である。
その「覚悟」を持った彼の姿は、経営者やビジネスの現場に立つリーダーたちの指針となると同時に、私たち一人ひとりに、勇気を与えてくれるのではないだろうか。
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