自著解説
『らんまんの笑顔 「人間・牧野富太郎」伝』(集英社)
NHK朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎と土佐人キャラクターの魅力
今春からのNHK“朝ドラ”「らんまん」、高知県佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎をモデルとしたこの国民的ドラマには「まるで大河ドラマのような朝ドラ」といった高い評価が寄せられているようです。富太郎は幕末の文久年生まれですから、幼少期は当然「時代劇」になりますが、まずは史実と巧みに生かした脚本、ドラマ作りが高評価につながっているように思えます。さて、こうした「モデルありの朝ドラ」が始まると、関連出版物が出るのも恒例ですが、ただ、そうした中の「偉人伝」や「モデル小説」は、私には今一つピンときませんでした。
プロの編集者として、それも高知県出身の編集者として、といったほうがよいかもしれませんが、簡単に言えば、「偉人伝」や「モデル小説」には何か「土佐出身の人物」の臭いがしない、土佐的要素の濃度が薄いよなあ、という思いがありました。
私の富太郎という人の基本的なキャラクター理解は、講談社学術文庫に入っている「牧野富太郎 自叙伝」。これを読んだときの第一印象が「このおんちゃん、かなりのいごっそうやな」ということ。その片意地とも思える一途さ、最終的にはユーモラスにさえ見えるその意固地。奇矯ともいえるその意気軒高ぶり。そのまま読めば、典型的な変人奇人かいわゆる学者馬鹿と捉える人もいるかもしれません。しかし、そこに「土佐バイアス」をかけて見ると、まさに、「土佐のいごっそう」がそこにいる、ということが県出身者には分かる。
そうした私の思いの中で急浮上したのが土佐史談会のレジェンド谷是さんの講演「人間・牧野富太郎」でした。土佐史談会は歴史ある研究団体ですし、谷さんは高知新聞OBで郷土史家としても重鎮。なによりも講演の名手で、その土佐弁交じりの名調子は有名です。この谷さんの講演を一冊にまとめて世に問いたい、というのが今回の出版の第一歩でした。
谷さんは富太郎のことを、まず「好き一途に生きたいごっそう」と言います。この「いごっそう」に代表される土佐人キャラクターについては、高知好きが高じて高知に移住して10年になる映画監督安藤桃子さんの面白い指摘があります。高知が「酒の国」であることを前提に、桃子さんは「高知は泥酔文化の国。高知人は飲めない人もウーロン茶で泥酔する」と明言。そして、「高知は日本ではない」というのが、ロンドン、N.Y.に学んだこの才媛の高知観。
「泥酔」は、徹底的に飲む酒文化だけを言っているのではなく、「いごっそう」の偏屈ぶりも含めて、何かに「泥酔」したかのようにのめり込む、夢中になる気質を見事に捉えた表現。
そうか、酒造家の息子ながら酒が飲めない富太郎は、植物に「泥酔」したのか…。
谷さんは富太郎についてもう一つ、「遅れてきた志士」だとも言います。富太郎が生まれた文久2年、坂本龍馬が富太郎の町佐川を通って「脱藩の道」を走り抜けました。先に、今回の朝ドラの脚本は史実をうまく生かしている、と書きましたが、例えば朝ドラにあった「竜馬が五歳の富太郎を肩車する」シーンは、いわゆる史実ではありません。しかし、富太郎五歳の慶応3年は、龍馬が長崎、土佐、京都などを駆け廻って「大政奉還」を進めた年ですから、その途上、佐川で少年富太郎に出会って励ましても、おかしくはない…。
さらに視聴者を驚かせたのが板垣退助が立ちあげた「自由民権運動」の最中、青年期に入ろうかという富太郎が高知でジョン万次郎に会うというシーン。万太郎が富太郎に「自由」について語る…。私はこの朝ドラの中で万次郎が富太郎に会うということは聞いていましたが、それは東京でのことだろう、と思っていましたから、万次郎が高知に登場したのにはびっくり。しかし、二人の年譜を重ねてみると、明治10年前後、故郷の母の見舞いに再三高知に帰る万次郎と高知での自由民権運動の勃興期が重なるではありませんか。いやいや、脚本家の想像力はすごい。
(後略)
「雑草という名の植物はない」という名言を残し、自らを「花の精」と言い、「天才」と自称し、「権威の圧迫を感じない男」と畏怖された稀代の貧乏学者牧野富太郎は、いかにして「世界的植物学者」になったのか。いごっそうの花仙人・牧野富太郎94年の、好きなことだけをやり尽くした生涯。ぜひ、ご一読ください。
[書き手]谷村 鯛夢(出版プロデューサー、俳人、エッセイスト)
1949年高知県生まれ。同志社大学文学部卒。婦人画報など女性誌の編集に長く関わり、現在出版プロデューサー、日本エッセイストクラブ会員、俳人協会会員等。
【初出メディア:「草の根通信」115号 国際草の根交流センター発行】