書評

『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

  • 2025/06/07
虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ / ティム・オブライエン
虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ
  • 著者:ティム・オブライエン
  • 翻訳:村上 春樹
  • 出版社:ハーパーコリンズ・ジャパン
  • 装丁:単行本(624ページ)
  • 発売日:2025-02-28
  • ISBN-10:4596725640
  • ISBN-13:978-4596725646
内容紹介:
ある理由で一流ジャーナリストからフェイクニュースの王に転落した中年男ボイド。カリフォルニアの田舎町でデパートの店長をしている彼は地元銀行の窓口係アンジーに銃をつきつけ、奪った8万… もっと読む
ある理由で一流ジャーナリストからフェイクニュースの王に転落した中年男ボイド。
カリフォルニアの田舎町でデパートの店長をしている彼は地元銀行の窓口係アンジーに
銃をつきつけ、奪った8万1千ドルと彼女を連れ逃避行に出る。
仕切り屋で喋り通しのアンジーに閉口しつつアメリカを縦断するボイドと、
彼をとりまく大富豪、悪徳警官、美人妻、殺人者――追う者追われる者が入り乱れ、
嘘と疫病に乗って全米を疾走するが……。
ティム・オブライエン、20年ぶりの長編小説。

SNSで拡散するアメリカの闇

ティム・オブライエンはベトナム従軍体験をもとにした作品で知られるアメリカ作家だが、最近は小説を書いておらず、本作は二十年ぶりの新作(原著は二〇二三年刊)。かつて戦争をめぐる国家のウソを追及した著者は、今回はウソが蔓延(まんえん)する現代アメリカ社会に目を向けた。その作品を、以前からオブライエンを高く評価していた村上春樹が時を置かずに翻訳した。

小説はこんな風に始まる。「その感染症はアフリカと同じくらい古いものだった。バビロンよりもまだ古く、それは陽光や、月の光や、よく動く舌の震えに乗って、世紀から世紀へと運ばれてきた。二〇一〇年代において、その感染症はカリフォルニア州フルダに着地した」

時は二〇一九年。コロナ禍勃発の直前だ。ここで作家が考案した感染症の名は「ミソメイニア」(虚言症)。主人公はボイド・ハルヴァーソンという、虚言症に深く冒された中年男だ。かつてジャーナリストとして国際的に活躍していたのだが、じつはその経歴も彼の書いた記事もウソまみれのものだったことがばれて失脚(だから彼の名前も実名ではなく、読者は彼の経歴のうちどれがウソでどれが本当かもなかなか分からない)、いまではフルダという小さな町(これは架空の町のようだ)でデパートの店長を務めている。

物語はその彼が自分の人生にうんざりしたあげく、銀行強盗をし、八万一千ドルの現金を奪うとともに、銀行員の若い女性アンジーを人質にして車で逃走するところから動き出す。ひっきりなしにしゃべり続けるこのアンジーのキャラが立っていて面白い。ペンテコステ派の敬虔(けいけん)な信者だが、惚れっぽい性格で、いつの間にか誘拐犯のフィアンセのような存在になってしまう。その後登場人物はあれよあれよと言う間に増えていく――平気で人殺しを重ねるソシオパスのような男(もともとアンジーの恋人)、メキシコからの移民をいじめることを生きがいにしている警官、人々から金を不正に巻き上げることしか考えない銀行の頭取夫妻、何でも金で買えると考えている億万長者とその娘(じつは主人公ボイドの元妻)、等々。彼らが追い追われ、騙し騙され、いくつかの筋が並行し、絡み合っていく。そのすべての背景に不吉に広がるのは、SNSを通じてアメリカ中に拡散する、途方もなくて笑ってしまうウソの数々。

展開は息をつく暇もないほどだ。これは次々と殺人や窃盗や横領が行われる犯罪小説でもあり、北米をカリフォルニア州からメキシコ、テキサス州、ミネソタ州、シアトルへと車で走りぬける、アメリカのお家芸のロード・トリップ小説でもある。会話は機智に富み(まるで村上春樹の小説のようだ)、登場人物たちのかけひきが鮮やかに浮かび上がる。最後にはウソで人生を塗り固めてきたボイドという複雑な人物の、謎の深みに迫っていく――彼が最後まで隠していたことは何か、彼が捨てた父との和解は成り立つのか?

『虚言の国』はアメリカの闇を深く覗き込んだ悲劇だが、同時にユーモアの横溢したアメリカらしくスケールの大きなほら話(トールテール)でもある。社会を蝕む卑小なウソを吹き飛ばしてくれそうな、大きなウソだとも言えるだろう。小説というもの自体がある種のウソであるとして。
虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ / ティム・オブライエン
虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ
  • 著者:ティム・オブライエン
  • 翻訳:村上 春樹
  • 出版社:ハーパーコリンズ・ジャパン
  • 装丁:単行本(624ページ)
  • 発売日:2025-02-28
  • ISBN-10:4596725640
  • ISBN-13:978-4596725646
内容紹介:
ある理由で一流ジャーナリストからフェイクニュースの王に転落した中年男ボイド。カリフォルニアの田舎町でデパートの店長をしている彼は地元銀行の窓口係アンジーに銃をつきつけ、奪った8万… もっと読む
ある理由で一流ジャーナリストからフェイクニュースの王に転落した中年男ボイド。
カリフォルニアの田舎町でデパートの店長をしている彼は地元銀行の窓口係アンジーに
銃をつきつけ、奪った8万1千ドルと彼女を連れ逃避行に出る。
仕切り屋で喋り通しのアンジーに閉口しつつアメリカを縦断するボイドと、
彼をとりまく大富豪、悪徳警官、美人妻、殺人者――追う者追われる者が入り乱れ、
嘘と疫病に乗って全米を疾走するが……。
ティム・オブライエン、20年ぶりの長編小説。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年4月26日

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