書評
瀬戸川 猛資、松坂 健『二人がかりで死体をどうぞ-瀬戸川・松坂ミステリ時評集-』(書肆盛林堂)

70年代前半、俊英のミステリ時評
一九七一年から七三年の約二年間にわたって、早川書房の『ミステリ・マガジン』誌で、まだ二十代の俊英二人が連載コラムを書いていた。ワセダ・ミステリクラブ出身の瀬戸川猛資は「警戒信号」という日本ミステリ時評、そして慶應推理同好会出身の松坂健は「死体をどうぞ」という海外ミステリ時評の担当だった。この二人は、八〇年代に『BOOKMAN』というジャンルにこだわらない読書雑誌に関わり、さらに瀬戸川猛資は『夜明けの睡魔』で自由闊達(かったつ)なミステリ評論を展開し、松坂健は深野有のペンネームで『ペーパーバックス読書学』を著して、読書人にとっては全幅の信頼が置ける水先案内人になった。本書『二人がかりで死体をどうぞ』は、いまや伝説になりつつあるその『ミステリ・マガジン』誌上でのコラムを中心にして、やはりその当時に書かれた二人のミステリ時評を集めたものである。昭和は遠くなりにけり。一九七〇年代前半といっても、どんな時代だったかすぐにイメージがわく人は少ないのではないか。本書で時評として取り上げられた作品の中で、その時代を思い出す手がかりになりそうなものを挙げれば、小松左京の『日本沈没』であり、半村良の『石の血脈』だろう。『瀬戸内殺人海流』を出したばかりの西村寿行は「本物の大型新人」と評され、西村京太郎はまだ十津川警部シリーズを書いていなかった。海外ミステリで言えば、ディック・フランシスが六〇年代後半に競馬シリーズで読書界を興奮させた、その後になる。
凝ったトリックより小説としてのサスペンスのほうが大事と考える瀬戸川猛資は、誰に対しても手厳しい。ちょうど同じ『ミステリ・マガジン』で本格推理小説論「黄色い部屋はいかに改装されたか?」を書いた都筑道夫の短篇集に対して、論理的でありすぎるがゆえにかえって疲れると皮肉るところなど、よく言ったものだなあと感心させられる。こんなに辛辣(しんらつ)な瀬戸川猛資が稀(まれ)に絶賛する作品はどれほどすばらしいのだろうかと思わせて、いっそう書き手としての評判が高くなったのだろう。それに対して、松坂健の時評は年齢に似合わない泰然としたところがあり、ストーリーの実に丁寧な要約に人柄が表れている。いかにもミステリの楽しみ方を心得た文章だ。
本書は、企画がスタートした時点では、『猛資と健の青春ミステリ書評』という仮題が付いていたという。それは二人がまだ若かったというだけの意味ではない。七〇年代前半はミステリ界もいわば青春時代だった。たしかに刊行点数も増えてはいたが、「あの頃は自由に好きなミステリに打ち込んでいられたなあ」と松坂健があとがきで述懐するように、読者の側も新刊ミステリの話題作を追いかけていられるだけの余裕があった。しかし、やがては大洪水の時代がやってくる。新刊書の洪水の中で溺れずにいるだけでも大変な時が。
そう思うと、二人がこの時期に定点観測的な時評を書いていたことは、本人たちにとってもわたしたち読者にとっても、幸運なめぐり合わせだったのではないか。ここで取り上げられた多くの本はすでに忘れ去られているが、二人の時評だけはけっして「死体」ではなく、本書の中で生きている。

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