書評
『東大法学部』(新潮社)
東大法学部という危機
『東大法学部』を読む
大分昔のことだが、デビュー当時の劇作家・演出家N氏のテレビ・インタビューをみていたときのこと。インタビュアーが「東大の文学部でなくて、どうして法学部に進学したのですか」と水をむけた。「文III(文学部)なんて頭よくないみたいでしょ」、とN氏はあっさりいってくれたものである。そういえば、わたしの知り合いに東大の教育学部(文III)を出て、学者になっている人がいるが、文IIIに入学したときからコンプレックスに悩まされたらしい。かれの父が東大法学部出身だったからだという。わたしをふくめて東大出ではない者にとっては、勝手にもってほしいプライドや悩みといったものなのだが、東大法学部こそは日本の歴代の国家エリートを輩出してきただけに、やはり関心をもたないわけにはいかない。
本書(水木楊『東大法学部』新潮新書、二〇〇五年)はこの東大のなかの東大である法学部の歴史といまの危機を簡潔に論じている。東大法学部が高等教育のなかで睥睨する位置に立ったのは、明治十九年(一八八六)に東京大学が帝国大学となり、高級官吏養成機関となったからである。明治二十七年(一八九四)から昭和二十二年(一九四七)までの高等文官試験(いまの国家公務員I種試験)行政科の合格者数をみても、東大が約六千人、二番目の京大は約八百人にすぎない。東大の合格者のほとんどは法学部である。ところが近年の東大法学部では国家公務員人気がなくなり、霞が関からも東大法学部出身の優秀な官僚が外資やベンチャービジネスに転職しはじめている。国家の舵取り手という国家公務員をささえたロマン物語が喪失したからであろう。
東大法学部はもう時代遅れのエリート製造学校になっているのに、総長が入学式で「卓越性」や「先進大学」を何十回も繰り返すことに著者は危機意識の欠如をみている。一流の人材が卒業後どんな分野に進むかによって明日の日本は決まるわけだが、東大法学部卒の進路の混迷が明日の日本の混迷を象徴している。いま開闢(かいびゃく)以来もっとも危機にあるのは、文IIでも文IIIでも私立大学でもなく、東大法学部なのだという気がしてくる。
週刊文春 2006年2月2日
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