書評
『告白』(中央公論新社)
これぞパンク!破滅のドラマを笑いで
町田康は日本のストリートが生んだ最も強靭(きょうじん)な知性である。伝説的な「ロック・マガジン」の編集者・阿木譲はこう語っている。「日本人にとってパンクとは何だったのかっていう問いに対する答え。その答えは町田町蔵[康]です。(中略)町蔵がぼくのところに最初来たのは、彼がまだ高校生の頃ですよ。でも、彼がエライなぁと思うのは、あれだけ無知だった男が、パンクっていうもので、あそこまで知的な男になった。それはすごい」(篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』より)
パンクの知性とは、おそらくすべてを留保なく懐疑に付すことである。町田康の新作『告白』でも、その野生の思考のスピードとパワーが遺憾なく発揮されている。
題材は、河内音頭の「河内十人斬り」にも歌われる、明治時代に起こった連続殺人事件。主人公・熊太郎は、現実と理想の裂け目にはまり、周囲の無理解に絶望し、借金を重ね、殺人と自殺にむかう。いってみれば、明治時代のボヴァリー夫人みたいな話なのだ。
しかし、熊太郎が恐ろしいカタストロフに走る本当の原因は、彼が自分のなかに近代的な思考のめざめを自覚してしまったことにある。
熊太郎はみずからを「極度に思弁的、思索的」人間だと考える。しかし、その思いを河内の前近代的な言葉で他人に伝えることができない。そこから、熊太郎の意識と、彼をとりまく共同体とのあいだに深い齟齬(そご)が生じていく。これが熊太郎の悲劇である。
つまり、『告白』とは、自分にふさわしい言葉を生みだそうとして生みだせず、破滅に至るほかない近代的な自意識のドラマなのだ。換言すれば、これは言文一致体を作りだし、新しい精神に形をあたえた日本近代文学史の陰画ともいえる物語だ。この途方もなく野心的な企てを生むのに、日本文学は『浮雲』以来、百二十年近くを要したことになる。
その熊太郎のドラマを、町田康は、思弁的な近代小説の言葉と土着的な河内弁との、世にも奇妙キテレツな混淆(こんこう)体で歌いあげる。その結果、緊迫感あふれる大量殺人への道行きの物語でありながら、また、犯罪者の粘りづよく犀利(さいり)な心理分析でありながら、この小説のいたるところから、つねに生命力にみちたユーモアが噴きだし、まるで上質の落語を聞いているときのように大笑いさせられてしまうのである。
二葉亭四迷が言文一致体を生みだすのに三遊亭円朝の落語を参考にしたのは有名な話だが、すべてを懐疑と笑いに付す落語的精神と言葉のリズムこそ、まさにこの小説の読みどころであり、そこに日本最高のパンク詩人である町田康の真骨頂があらわれている。ともかくエキサイティングで、読む者の背筋を熊太郎の哀(かな)しみが最後に刺しつらぬく。そういう小説である。
朝日新聞 2005年3月27日
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