前書き
『[ヴィジュアル版]北欧神話物語百科』(原書房)
エルフやドワーフをはじめ、現代のRPG、ファンタジー小説、SF、『指輪物語』や映画『ホビット』三部作、人気のゾンビサバイバル系ゲームなどには北欧神話に由来するコンセプトや定番キャラクターが数多く登場しますね。これらの世界観をより楽しみ、理解するために有用なヴィジュアル・ガイドが刊行されました。本書から「序章」の一部を特別公開します。
現代小説の中にも、意図的に北欧神話のキャラクターを転用しているものはある。漫画やアニメの「マーベル」で、先進的な種族であるソー(トール)と仲間の神々は、科学を用いて神のような力をふるう。それでも基本的には元の神話の登場人物と変わらない。デヴィッド・ドレークのSFファンタジー小説「ノースワールドNorthworld」シリーズでは、中心的登場人物が北欧の神々と酷似している。指揮官のノースからして主神オーディンと同様に、未来の知識と引き換えに片目を失っている。著者は明確な意図をもって神話上の人物を利用しているのだ。
また影響がわかりにくい例もあるだろう。実際、現代の作家が何気なくファンタジーやSFの小説に登場させたものも、結局は北欧神話にオリジナルの発想があったりするのだ。ドワーフが作る魔法の武器はファンタジーの頻出アイテムだが、北欧伝説に由来していることに気づいている者はほとんどいない。同様に、SFには「ラグナロク装置」や「ラグナロク作戦」がやたらと登場する。その意味することは、オリジナルの神話物語をまったく知らない者にも明白だ。
北欧神話の登場人物と物語には、なぜほかの神話にない強力な影響力があるのだろう。理由は山ほどある。ひとつには、興味をそそるキャラクターがいてその冒険が波乱万丈の物語になることがある。ほかの神話にも同じくらい魅力的な人物はいるが、知名度は劣る。それを補うためには説明が必要になるので、どうしても読者や視聴者の興味を同じようには引きつけないだろう。馴れ親しんだ物語なら真実味がある。よく知っているキャラクターには共感もわきやすい。そのためノース人の神話は現代でも、想像力を刺激し人々を楽しませつづけている。また、ノース人自体もそうした理由のひとつになっているのだ。
ノース人はほかにもアイスランド、グリーンランド、さらには北アメリカの豆粒のような地域(ニューファンドランド島)にも植民した。もっとも北米からは瞬く間に撤退している。ニューファンドランド島とグリーンランドの入植地は大昔に消失したが、アイスランドは繁栄して近代国家になった。サガとは古ノルド語による物語だ。そうした北欧の英雄のサガの多くがようやく文字で残されたのがアイスランドの地なら、ノース人とその神々にかんして、わたしたちの知識の大部分の源となっているのもここの伝承である。
「ヴァイキング」という言葉は、多くの場合ノース人全般を指したが、実際には遠征、すなわち「ヴィック」に従事する者を表していた。では遠征とは何か? 船の漕手の交替が必要な旅と定義される。だからまっすぐ目的地に向かい、漕手も変わらないような短い船旅は該当しない。もっと広い意味では、遠征は陸路、海路のいずれの長旅も意味すると考えられた。だから遠征を企てる者はだれでもヴァイキングになる。ただし帰還するまでのあいだだけだが。
ノース人の「遠征」でよく知られているのは、いうまでもなく、ヨーロッパ沿岸部を荒らし被害を拡大していった襲撃だ。ただし、ヴァイキングはそれと同じくらい交易にも意欲的だった。遠征の中には、多少とも両方の面をもち合わせた例がある。どちらになるかを決したのは、上陸する土地の富と見た目の警備の厳しさだった。こうした襲撃と交易の遠征を目的に、ノース人はヨーロッパ沿岸部をまわって地中海に入った。もちろん、気に入った場所に住みついたりもした。植民はイギリス諸島、北欧沿岸部、アイスランドにくわえて、バルト海の内陸部でも広範に進められている。
交易遠征(と襲撃)の範囲はアラブ世界におよび、シルクロードの一部にまでかかっていた。そういえば、いささか想像力がたくましすぎると思われる試みが行なわれている。東南アジアで見つかったルーン文字らしき落書きを、「ヴァイキング」の遠征とむすびつけるというものだ。となるとその交易ルートはシルクロードをとおって中国へ、さらには揚子江、太平洋沿岸部にまで達する[ルーン文字は、ゲルマン人のあいだで使用されていた]。ノース人がオーストラリアに到達したという説まであるが、その根拠に信憑性はない。かといえば、北米入植地の規模を大幅に水増しした例もある。北米大陸の内陸部にもノース人の入植地があったことを、さまざまな偽の遺物で「証明」しているのだが、さすがにこの主張には無理がある。
ノース人がどこに行って何をしたかについての突拍子もない主張はさておき、まちがいないといえるものがある。彼らがあちこちに出没して、良きにつけ悪しきにつけ人々の印象に残ったことだ。東ローマ帝国の皇帝は、バラング近衛隊という精鋭部隊を擁しており、そのメンバーは当初、ルーシの戦士から集められていた。このルーシもロシアに新天地を見出したノース人だ。バラング近衛隊はしばらくすると、北欧の多方面から兵を補充するようになったが、そうした者の出身地の大半がノース人の影響を受けている。
ノース人が侵略した場所では、必ず襲撃者にまつわる伝説が生まれた。定住地には伝統的な神話物語がもちこまれ、キリスト教の導入後もそれが長く残った。それどころかノース人の多くはしばらくのあいだ、キリスト教と自分たちの古い神々の共存を、別段いやがらずに受けいれていたのである。とはいえ時とともに、北欧の神々は神話の世界に消えていった。ただしそれでも、神々の文化への影響は感じられていたのだ。
ノース人は勇猛果敢な人々で、多くは厳しい環境の土地を故郷としていた。屋根のない船で長い航海をひるむことなく企て、海洋での航海術まで編みだしている。たしかに勇敢ではあったし、必要とあらば躊躇なく暴力を行使した。だが実のところ、北欧文化の中でプロの戦士はまれな存在だったのだ。「ヴァイキング」の大半は遠征後には農地や元の職業に戻ったし、多くが次の遠征に出ようとはしなかった。ただ、戦う神々の話を聞かされて育ったので、勇気と武器扱いの技能、似たような軍事的な価値観を尊重していた。したがってノース人は、血の気が多かったとはいえ、必要なときだけ活躍するパートタイム戦士で、種族全体で戦いを生業としていたわけではない。
ノース人の交易者と移住者は神話物語とともに移動しており、そうしたものは時とともに当然ながらゆがめられ、ほかの文化の神話物語と融合した。その結果、ひとつの話から多くの異話が生まれることも、場合によってはごく一般的な言葉を別にすれば、オリジナルの話とは似ても似つかない話に発展することもあったのだろう。また、当の北欧の人々もどれが作り話でどれが自分らの神話かがわからなくなり、ついには著しくゆがんだイメージをもつにいたっている。
北欧神話が現代人から見てゆがめられているのは、いわゆる「ヴァイキング時代」に文字による記録がほとんどなかったためとも思われる。ルーン文字は使われていたが、重要な情報はスカルド[吟唱詩。エッダの表現より技巧的]の刻文に秘められていた。北欧のスカルド詩人は英雄的行為を記録して称え、朗唱し、新しいスカルドを訓練することで記憶に呼びさましつづけた。そうした口述のサガが書き留められたのは、「ヴァイキング時代」が過ぎてからかなりあとだったので、ほかの神話体系とくらべてゆがみはずっと大きかったのだ。
わたしたちの北欧神話にかんする知識の大半は、『詩のエッダ』と『散文のエッダ』に書かれていることから推測されているが、そうした手がかりは断片的で、時に矛盾している。このような伝統的な北欧の物語は、後世になって主にアイスランドで書き留められた。またそうした中に出てくる神話伝説の多くは、人間の英雄伝の中で語られている。
完全版の参考文献として使える「聖典」は1冊もないし、提示されるどの情報も完全に正確であるとは言い切れない。
わたしたちが一般的に受けいれている北欧の物語の大部分は、アイスランドの歴史学者スノッリ・スツルソンが『散文のエッダ』で描いた世界を発展させたものだ。この著書の執筆時期は1200~1240年だった。そうなると「ヴァイキング時代」が終わってから、またさらに重要なことに、キリスト教が古代北欧の宗教にとって代わってからずいぶん長い年月が経っている。スツルソンはそのところどころで、北欧神話のパンテオンを「取り繕う」ために、細かい辻褄合わせをしているふしがある。たとえオリジナルの神話に根拠がないような場合でも、ある神の両親の名前をあげるために、神と巨人を勝手にくっつけたりしているのだ。スツルソンはまた、北欧の概念にキリスト教の価値観を押しつけているようなところもある。彼の描く死と来世はとくにそうで、天国と地下の地獄というキリスト教的な考えの影響がうかがわれる。
違う文化圏の年代記編者が、北欧の神々について理解しやすいようにと、対比を用いたのはいたし方ないだろう。だが、それで混同を生じていたりもするのだ。トールはトールで、断じて稲妻を操れるようになったローマ神話の軍神マルスではない。この手の対比は基本的な理解には役立つとしても、全体的には物事を混乱させて、決して存在しなかった汎ヨーロッパ的な単一神話のようなものを作りあげることになりかねない。
[書き手]マーティン・J・ドハティ(ライター)
神々と巨人の戦い、世界の終末を描く
神話体系を調べようなどと思わない人も、北欧人の宗教については、たいてい知らず知らずのうちに驚くほど多くの知識をも知っていたりする。その理由のひとつに、北欧神話がほかの文化に絶大な影響を与えていることがある。そのため、そうした伝説が今日にいたるまで、ノース人の歴史としてだけでなく、ほかの形でも伝えられているのだ。北欧神話から「借用した」発想は現代のファンタジーやSFに頻出する。エルフもそう、ドワーフも、「眠れぬ墓」からよみがえる不死の戦士もそうだ。現代小説の中にも、意図的に北欧神話のキャラクターを転用しているものはある。漫画やアニメの「マーベル」で、先進的な種族であるソー(トール)と仲間の神々は、科学を用いて神のような力をふるう。それでも基本的には元の神話の登場人物と変わらない。デヴィッド・ドレークのSFファンタジー小説「ノースワールドNorthworld」シリーズでは、中心的登場人物が北欧の神々と酷似している。指揮官のノースからして主神オーディンと同様に、未来の知識と引き換えに片目を失っている。著者は明確な意図をもって神話上の人物を利用しているのだ。
また影響がわかりにくい例もあるだろう。実際、現代の作家が何気なくファンタジーやSFの小説に登場させたものも、結局は北欧神話にオリジナルの発想があったりするのだ。ドワーフが作る魔法の武器はファンタジーの頻出アイテムだが、北欧伝説に由来していることに気づいている者はほとんどいない。同様に、SFには「ラグナロク装置」や「ラグナロク作戦」がやたらと登場する。その意味することは、オリジナルの神話物語をまったく知らない者にも明白だ。
北欧神話の登場人物と物語には、なぜほかの神話にない強力な影響力があるのだろう。理由は山ほどある。ひとつには、興味をそそるキャラクターがいてその冒険が波乱万丈の物語になることがある。ほかの神話にも同じくらい魅力的な人物はいるが、知名度は劣る。それを補うためには説明が必要になるので、どうしても読者や視聴者の興味を同じようには引きつけないだろう。馴れ親しんだ物語なら真実味がある。よく知っているキャラクターには共感もわきやすい。そのためノース人の神話は現代でも、想像力を刺激し人々を楽しませつづけている。また、ノース人自体もそうした理由のひとつになっているのだ。
ノース人
よく(ざっとしたくくりで)「ヴァイキング」とも称せられるノース人。古代スカンディナビア人とも呼ばれる。居住していたのは現代のデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、そしてフィンランドの一部をくわえたスカンディナビア半島で、そこから四方八方に散らばった。現在のロシアとなる地域では「ルーシ」と呼ばれ、この国の発展に重大な影響をおよぼした。フランスのノルマンディーではフランク国王に入植を認められて、ノルマンディー公国を成立させている。現代の英国君主の系譜はここから始まっている。ノルマンディー公であるウィリアム征服王は、ノース人の武装集団の首領とは若干異なるが、その血統や伝統をさかのぼると北欧世界にまで行きつく。ノース人はほかにもアイスランド、グリーンランド、さらには北アメリカの豆粒のような地域(ニューファンドランド島)にも植民した。もっとも北米からは瞬く間に撤退している。ニューファンドランド島とグリーンランドの入植地は大昔に消失したが、アイスランドは繁栄して近代国家になった。サガとは古ノルド語による物語だ。そうした北欧の英雄のサガの多くがようやく文字で残されたのがアイスランドの地なら、ノース人とその神々にかんして、わたしたちの知識の大部分の源となっているのもここの伝承である。
「ヴァイキング」という言葉は、多くの場合ノース人全般を指したが、実際には遠征、すなわち「ヴィック」に従事する者を表していた。では遠征とは何か? 船の漕手の交替が必要な旅と定義される。だからまっすぐ目的地に向かい、漕手も変わらないような短い船旅は該当しない。もっと広い意味では、遠征は陸路、海路のいずれの長旅も意味すると考えられた。だから遠征を企てる者はだれでもヴァイキングになる。ただし帰還するまでのあいだだけだが。
ノース人の「遠征」でよく知られているのは、いうまでもなく、ヨーロッパ沿岸部を荒らし被害を拡大していった襲撃だ。ただし、ヴァイキングはそれと同じくらい交易にも意欲的だった。遠征の中には、多少とも両方の面をもち合わせた例がある。どちらになるかを決したのは、上陸する土地の富と見た目の警備の厳しさだった。こうした襲撃と交易の遠征を目的に、ノース人はヨーロッパ沿岸部をまわって地中海に入った。もちろん、気に入った場所に住みついたりもした。植民はイギリス諸島、北欧沿岸部、アイスランドにくわえて、バルト海の内陸部でも広範に進められている。
交易遠征(と襲撃)の範囲はアラブ世界におよび、シルクロードの一部にまでかかっていた。そういえば、いささか想像力がたくましすぎると思われる試みが行なわれている。東南アジアで見つかったルーン文字らしき落書きを、「ヴァイキング」の遠征とむすびつけるというものだ。となるとその交易ルートはシルクロードをとおって中国へ、さらには揚子江、太平洋沿岸部にまで達する[ルーン文字は、ゲルマン人のあいだで使用されていた]。ノース人がオーストラリアに到達したという説まであるが、その根拠に信憑性はない。かといえば、北米入植地の規模を大幅に水増しした例もある。北米大陸の内陸部にもノース人の入植地があったことを、さまざまな偽の遺物で「証明」しているのだが、さすがにこの主張には無理がある。
ノース人がどこに行って何をしたかについての突拍子もない主張はさておき、まちがいないといえるものがある。彼らがあちこちに出没して、良きにつけ悪しきにつけ人々の印象に残ったことだ。東ローマ帝国の皇帝は、バラング近衛隊という精鋭部隊を擁しており、そのメンバーは当初、ルーシの戦士から集められていた。このルーシもロシアに新天地を見出したノース人だ。バラング近衛隊はしばらくすると、北欧の多方面から兵を補充するようになったが、そうした者の出身地の大半がノース人の影響を受けている。
ノース人が侵略した場所では、必ず襲撃者にまつわる伝説が生まれた。定住地には伝統的な神話物語がもちこまれ、キリスト教の導入後もそれが長く残った。それどころかノース人の多くはしばらくのあいだ、キリスト教と自分たちの古い神々の共存を、別段いやがらずに受けいれていたのである。とはいえ時とともに、北欧の神々は神話の世界に消えていった。ただしそれでも、神々の文化への影響は感じられていたのだ。
ノース人は勇猛果敢な人々で、多くは厳しい環境の土地を故郷としていた。屋根のない船で長い航海をひるむことなく企て、海洋での航海術まで編みだしている。たしかに勇敢ではあったし、必要とあらば躊躇なく暴力を行使した。だが実のところ、北欧文化の中でプロの戦士はまれな存在だったのだ。「ヴァイキング」の大半は遠征後には農地や元の職業に戻ったし、多くが次の遠征に出ようとはしなかった。ただ、戦う神々の話を聞かされて育ったので、勇気と武器扱いの技能、似たような軍事的な価値観を尊重していた。したがってノース人は、血の気が多かったとはいえ、必要なときだけ活躍するパートタイム戦士で、種族全体で戦いを生業としていたわけではない。
ノース人の交易者と移住者は神話物語とともに移動しており、そうしたものは時とともに当然ながらゆがめられ、ほかの文化の神話物語と融合した。その結果、ひとつの話から多くの異話が生まれることも、場合によってはごく一般的な言葉を別にすれば、オリジナルの話とは似ても似つかない話に発展することもあったのだろう。また、当の北欧の人々もどれが作り話でどれが自分らの神話かがわからなくなり、ついには著しくゆがんだイメージをもつにいたっている。
北欧神話が現代人から見てゆがめられているのは、いわゆる「ヴァイキング時代」に文字による記録がほとんどなかったためとも思われる。ルーン文字は使われていたが、重要な情報はスカルド[吟唱詩。エッダの表現より技巧的]の刻文に秘められていた。北欧のスカルド詩人は英雄的行為を記録して称え、朗唱し、新しいスカルドを訓練することで記憶に呼びさましつづけた。そうした口述のサガが書き留められたのは、「ヴァイキング時代」が過ぎてからかなりあとだったので、ほかの神話体系とくらべてゆがみはずっと大きかったのだ。
わたしたちの北欧神話にかんする知識の大半は、『詩のエッダ』と『散文のエッダ』に書かれていることから推測されているが、そうした手がかりは断片的で、時に矛盾している。このような伝統的な北欧の物語は、後世になって主にアイスランドで書き留められた。またそうした中に出てくる神話伝説の多くは、人間の英雄伝の中で語られている。
完全版の参考文献として使える「聖典」は1冊もないし、提示されるどの情報も完全に正確であるとは言い切れない。
わたしたちが一般的に受けいれている北欧の物語の大部分は、アイスランドの歴史学者スノッリ・スツルソンが『散文のエッダ』で描いた世界を発展させたものだ。この著書の執筆時期は1200~1240年だった。そうなると「ヴァイキング時代」が終わってから、またさらに重要なことに、キリスト教が古代北欧の宗教にとって代わってからずいぶん長い年月が経っている。スツルソンはそのところどころで、北欧神話のパンテオンを「取り繕う」ために、細かい辻褄合わせをしているふしがある。たとえオリジナルの神話に根拠がないような場合でも、ある神の両親の名前をあげるために、神と巨人を勝手にくっつけたりしているのだ。スツルソンはまた、北欧の概念にキリスト教の価値観を押しつけているようなところもある。彼の描く死と来世はとくにそうで、天国と地下の地獄というキリスト教的な考えの影響がうかがわれる。
違う文化圏の年代記編者が、北欧の神々について理解しやすいようにと、対比を用いたのはいたし方ないだろう。だが、それで混同を生じていたりもするのだ。トールはトールで、断じて稲妻を操れるようになったローマ神話の軍神マルスではない。この手の対比は基本的な理解には役立つとしても、全体的には物事を混乱させて、決して存在しなかった汎ヨーロッパ的な単一神話のようなものを作りあげることになりかねない。
[書き手]マーティン・J・ドハティ(ライター)
ALL REVIEWSをフォローする

![[ヴィジュアル版]北欧神話物語百科 / マーティン・J・ドハティ](https://m.media-amazon.com/images/I/51xYkJOZKkL._SL500_.jpg)







































