書評

『水脈を聴く男』(書肆侃侃房)

  • 2025/06/14
水脈を聴く男 / ザフラーン・アルカースィミー
水脈を聴く男
  • 著者:ザフラーン・アルカースィミー
  • 翻訳:⼭本 薫,マイサラ・アフィーフィー
  • 出版社:書肆侃侃房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(216ページ)
  • 発売日:2025-05-07
  • ISBN-10:4863856741
  • ISBN-13:978-4863856745
内容紹介:
井戸で発見された溺死体のお腹から取り出された胎児。彼には大地の「水脈を聴く」能力が宿っていた──。ひどい頭痛に悩まされるマリアムは井戸の深淵からの「おいで、おいで」という囁きに導… もっと読む
井戸で発見された溺死体のお腹から取り出された胎児。彼には大地の「水脈を聴く」能力が宿っていた──。

ひどい頭痛に悩まされるマリアムは井戸の深淵からの「おいで、おいで」という囁きに導かれ、ついには溺死体として発見される。しかし、その体には胎児が宿っていた。無事(サーレム)に救われたことでサーレムと名付けられた息子は、耳を澄ませると地中を流れる水の音が聴こえるようになる。その噂はあっという間に広がり、避けられ孤立するようになるが、水源を探し当て村を襲った干ばつから救うことで必要とされるようになる。その評判は遠方まで轟き、15歳の少年は「水追い師」として各地で引く手あまたになるのだが──。

アラビア半島に位置し、雨のほとんど降らない小国オマーン。地下水路(ファラジュ)による独自の灌漑システムは、峻険な岩山や荒涼とした砂漠の地を潤してきた。『バグダードのフランケンシュタイン』などが過去に受賞したアラビア語圏最高の文学賞「アラブ小説国際賞」に輝く、水をめぐる傑作長編。



「気候変動や水資源の枯渇が世界的な課題となっている今日、この小説が描く「水に囚われる人間の姿」は、過去の物語ではなく、今まさに現代社会が直面する現実の縮図として読み解くことができる」(本書解説より)

「水追い師」と水をめぐる迫真の物語

アラビア半島の小国オマーンにある小さな村。時代は20世紀中ごろ。雨のほとんど降らない、砂漠の地の物語だ。

現在のオマーンは産油国として知られていて、小説に描かれる地域社会や呪術信仰、主題となる「水探し」と手作業による掘削などは、一時代前の文化なのだろう。しかも、日本のように水に囲まれた国から見ると、遠い異国の話なのはたしかなのに、「水」を巡る迫真の物語が、切実で鮮烈な印象を残す。アラビア語圏最高の文学賞≪アラブ小説国際賞≫受賞作。

頭を水につけないと治まらない、すさまじい頭痛に襲われたマリアム・ビント・ハマド・ワッド・ガーネム(村にたくさんのマリアムが、そして下に続く名前も同じものがいるので、フルネームで呼ばなければならない)は、痛みを抑えるために井戸に呼ばれるようにして下りて行き、深淵の中に転落する。怪力の男ワアリーが引っ張り上げると、彼女はすでにこと切れていたが、腹の中の子どもは生きていた。

その子、サーレムは長じて、水脈を聴き当てる耳を持っていることに気づく。ただ、それが人々に認められ、頼られるようになるまでには時間がかかった。幼少期は「溺死した女の息子」とさげすまれ、水脈を聴く能力を得ても魔物扱いされ、父親や、サーレムを育てた大おばまでもが村人たちから、のけ者にされる。「人と違う」ことは、コミュニティの中では「危険」なのだ。

しかし、サーレムが十五歳になった年、とてつもなく厳しい夏がやってくる。水が枯渇して姿を消し、すべての生き物が干ばつの打撃を受けた。サーレムが水の音を聴き、ワアリーが岩に楔(くさび)を打つと水が流れ出した。

人々は、伝統的な地下水路(ファラジュ)を造ることを思いつく。それらは大洪水の後に土砂に埋もれ、続く豊穣の年月に忘れ去られていた。サーレムは水路のための水源を聴き当て、その後、いろいろな村に呼ばれて水脈を聴く「水追い師」となるのだった。

もっとも魅力的なのは、手作業で岩を掘り、水を探り当てて水路を造る伝統的な技法が、小説の緻密な語りによって、まるでドキュメンタリーを見ているかのように伝わってくるところだ。

地下水路がオアシスを作り生活を支えるシステムは、紀元前から存在したのだという。

だとすれば、特殊な耳を持つ「水追い師」がいたかどうかは別として、水と戦い、水を征し、しかし水に翻弄され、流され、奪われ、もう一度水を奪い返す戦いに挑むという作業を繰り返した歴史は、存在したのだろう。そのリアリティが、胸に迫る。

干ばつは、地球温暖化の影響もあって、世界中のどこでも起こりうる災害となっている。豊かな水源を持つ日本も、干ばつや渇水と無縁ではない。2023年夏の記録的な猛暑と乾燥は、稲の生育にダメージを与え、深刻な米不足と米価高騰の一つの要因となった。自然災害はいつの時代も人類を脅かす。

本書には、圧倒的な自然と、死力を尽くしてそれと対峙する人間の、普遍的で根源的な姿が描かれる。溺れた女の腹から取り上げられ、「サーレム(無事)」と名づけられた男の、微に入り細を穿つ自然との格闘の描写に瞠目した。
水脈を聴く男 / ザフラーン・アルカースィミー
水脈を聴く男
  • 著者:ザフラーン・アルカースィミー
  • 翻訳:⼭本 薫,マイサラ・アフィーフィー
  • 出版社:書肆侃侃房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(216ページ)
  • 発売日:2025-05-07
  • ISBN-10:4863856741
  • ISBN-13:978-4863856745
内容紹介:
井戸で発見された溺死体のお腹から取り出された胎児。彼には大地の「水脈を聴く」能力が宿っていた──。ひどい頭痛に悩まされるマリアムは井戸の深淵からの「おいで、おいで」という囁きに導… もっと読む
井戸で発見された溺死体のお腹から取り出された胎児。彼には大地の「水脈を聴く」能力が宿っていた──。

ひどい頭痛に悩まされるマリアムは井戸の深淵からの「おいで、おいで」という囁きに導かれ、ついには溺死体として発見される。しかし、その体には胎児が宿っていた。無事(サーレム)に救われたことでサーレムと名付けられた息子は、耳を澄ませると地中を流れる水の音が聴こえるようになる。その噂はあっという間に広がり、避けられ孤立するようになるが、水源を探し当て村を襲った干ばつから救うことで必要とされるようになる。その評判は遠方まで轟き、15歳の少年は「水追い師」として各地で引く手あまたになるのだが──。

アラビア半島に位置し、雨のほとんど降らない小国オマーン。地下水路(ファラジュ)による独自の灌漑システムは、峻険な岩山や荒涼とした砂漠の地を潤してきた。『バグダードのフランケンシュタイン』などが過去に受賞したアラビア語圏最高の文学賞「アラブ小説国際賞」に輝く、水をめぐる傑作長編。



「気候変動や水資源の枯渇が世界的な課題となっている今日、この小説が描く「水に囚われる人間の姿」は、過去の物語ではなく、今まさに現代社会が直面する現実の縮図として読み解くことができる」(本書解説より)

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年5月17日

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