「水追い師」と水をめぐる迫真の物語
アラビア半島の小国オマーンにある小さな村。時代は20世紀中ごろ。雨のほとんど降らない、砂漠の地の物語だ。現在のオマーンは産油国として知られていて、小説に描かれる地域社会や呪術信仰、主題となる「水探し」と手作業による掘削などは、一時代前の文化なのだろう。しかも、日本のように水に囲まれた国から見ると、遠い異国の話なのはたしかなのに、「水」を巡る迫真の物語が、切実で鮮烈な印象を残す。アラビア語圏最高の文学賞≪アラブ小説国際賞≫受賞作。
頭を水につけないと治まらない、すさまじい頭痛に襲われたマリアム・ビント・ハマド・ワッド・ガーネム(村にたくさんのマリアムが、そして下に続く名前も同じものがいるので、フルネームで呼ばなければならない)は、痛みを抑えるために井戸に呼ばれるようにして下りて行き、深淵の中に転落する。怪力の男ワアリーが引っ張り上げると、彼女はすでにこと切れていたが、腹の中の子どもは生きていた。
その子、サーレムは長じて、水脈を聴き当てる耳を持っていることに気づく。ただ、それが人々に認められ、頼られるようになるまでには時間がかかった。幼少期は「溺死した女の息子」とさげすまれ、水脈を聴く能力を得ても魔物扱いされ、父親や、サーレムを育てた大おばまでもが村人たちから、のけ者にされる。「人と違う」ことは、コミュニティの中では「危険」なのだ。
しかし、サーレムが十五歳になった年、とてつもなく厳しい夏がやってくる。水が枯渇して姿を消し、すべての生き物が干ばつの打撃を受けた。サーレムが水の音を聴き、ワアリーが岩に楔(くさび)を打つと水が流れ出した。
人々は、伝統的な地下水路(ファラジュ)を造ることを思いつく。それらは大洪水の後に土砂に埋もれ、続く豊穣の年月に忘れ去られていた。サーレムは水路のための水源を聴き当て、その後、いろいろな村に呼ばれて水脈を聴く「水追い師」となるのだった。
もっとも魅力的なのは、手作業で岩を掘り、水を探り当てて水路を造る伝統的な技法が、小説の緻密な語りによって、まるでドキュメンタリーを見ているかのように伝わってくるところだ。
地下水路がオアシスを作り生活を支えるシステムは、紀元前から存在したのだという。
だとすれば、特殊な耳を持つ「水追い師」がいたかどうかは別として、水と戦い、水を征し、しかし水に翻弄され、流され、奪われ、もう一度水を奪い返す戦いに挑むという作業を繰り返した歴史は、存在したのだろう。そのリアリティが、胸に迫る。
干ばつは、地球温暖化の影響もあって、世界中のどこでも起こりうる災害となっている。豊かな水源を持つ日本も、干ばつや渇水と無縁ではない。2023年夏の記録的な猛暑と乾燥は、稲の生育にダメージを与え、深刻な米不足と米価高騰の一つの要因となった。自然災害はいつの時代も人類を脅かす。
本書には、圧倒的な自然と、死力を尽くしてそれと対峙する人間の、普遍的で根源的な姿が描かれる。溺れた女の腹から取り上げられ、「サーレム(無事)」と名づけられた男の、微に入り細を穿つ自然との格闘の描写に瞠目した。