書評
『「太平記読み」の時代: 近世政治思想史の構想』(平凡社)
近世政治思想の枠組みを探る
思想の形成というと、古典との格闘を通じて行われる思索の営みと思いがちである。しかしその思考の枠組みをよくよく検討してゆくと、意外なところにあって驚かされる。たとえば、幼い時の読書の体験が知らず知らずのうちに枠組みを作っていて、それが大きな影響をあたえるようなことがある。本書を読んで感じたのはそのことであった。
近世の政治思想に儒学が大きな影響を与えたことは知られているが、実はその思考の枠組みは「太平記読み」の講釈に依存していた、と著者は指摘する。まさか、本当だろうか。
近世の思想家たち。幕府の学問の在り方を築いた林羅山、朱子学を批判して古学を唱えた山鹿素行、そして熊沢蕃山、さらに旧来の学問を強く批判した安藤昌益などは、「太平記読み」の大きな影響の下で成長してきたというのである。
南北朝時代の軍記物語の傑作である『太平記』は早くから広く読まれ、影響をあたえていたが、「太平記読み」は、それとは別に『太平記』の語るところを批判的に解釈して伝える人々のことで、具体的には、戦国時代に成った『太平記評判秘伝理尽鈔』の講釈者を意味する。
この『理尽鈔』は、『太平記』やその語る歴史を介して、中世の国家と仏法の相互依存関係を始め、呪術や僧の生き方などを徹底的に批判し、新たな政治体制の背景をなす政治思想となったとされる。
特に興味深いのは、南朝の忠臣とされる楠正成の評価が、「太平記読み」によって高められた結果、『太平記』で知られるような、知謀の武将や神仏の信仰者としての側面を越えて、模範的な政治を行う為政者の像に作り変えられていった点である。
『理尽鈔』は、正成が、源義経から兵法を習った兵法の師であり、天下の政治の在り方を指摘する政治家でもあったとして、その語る政治の意見をまとめている。
これらは『太平記』に見えない、全くの創作ではあったが、この「太平記読み」の影響を受けたのが林羅山であり、山鹿素行、熊沢蕃山らであって、皆、「太平記読み」の正成像を受け入れていたことを、著者は具体的に明らかにしている。
しかもこれらの思想家の影響を受けた金沢藩の前田光高や岡山藩の池田光政など諸藩の藩主は、独自に「太平記読み」の影響を受け、藩政の在り方や藩政改革の実施を行った。
それは十七世紀の半ばにおける、諸藩での政治改革の要請に、「太平記読み」の思想がよく合致していたからであったが、当時の出版メディアの広がりとも深い関連があって、民衆の世界にも大きな影響を与えるようになった。
戦国時代に生まれた「太平記読み」は、それまでの領主と家臣の間の主従関係や領主と民の領民関係からなる政治論を越えて、国家を構想しそこから国家と領主と民の関係について論じるようになった。そうした枠組みにおいて「太平記読み」の思想は受け入れられていったという。
さらに安藤昌益も『太平記大全』から多くを学んだが、それに引かれている『理尽鈔』を勉強して、儒教や仏教・神道に対するイデオロギー批判の行い方を学んだと指摘している。
改めて「太平記読み」とは何か、その思想はいかに形成されたのか、を問い返したくなる刺激的な著作である。各地を訪ねて「太平記読み」を掘り出した著者の熱意もよく伝わってくる本となっている。
【文庫版】
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