後書き
『リトルトーキョーは語る―凝集・越境・包摂の日系アメリカ史―』(名古屋大学出版会)
ロスアンジェルスにある日本人街「リトルトーキョー(小東京)」をご存じでしょうか。この街を舞台に、日系アメリカ人の歴史をこれまでにない視点から描いた『リトルトーキョーは語る』がこのたび刊行されました。著者・南川文里先生のあとがきを抜粋してお届けいたします。
数年前、久しぶりにロスアンジェルスのリトルトーキョーを訪れて、あふれる活気に驚いた。週末ともなれば、ジャパニーズ・ヴィレッジ・プラザ(JVP)内の通路には人があふれ、あちこちに行列ができていた。多くの人のお目当ては、アニメ、マンガ、ゲーム、キャラクター関連グッズ、ラーメンやスイーツなど、現代の日本文化に通じた商品やサービスらしい。その雰囲気は、インバウンドの観光客でにぎわう京都の繁華街のようだ。昨年(2024年)に再訪したときには、ロスアンジェルス・ドジャースに移籍した大谷翔平選手などの試合を観戦するツアーで訪れたと思われる日本人観光客の姿も目立ち、まさに日米ポピュラーカルチャーの交差点の様相を帯びていた。
私が初めて当地を訪れたのは1997年の1月だった。当時は日本からの観光客の勢いが衰えはじめた頃で、留学生や企業駐在員が利用する店もどこか寂しい雰囲気があった。それでも、行き交う人が少ないJVP内のベンチで、日系人の高齢者の方々が語りあっていた風景に心が安らいだのを覚えている。その頃に比べれば現在の活況は喜ぶべきなのかもしれないが、この町に積み重なってきた歴史が見えにくくなっていることには危機感も覚える。私には、ミヤコ・ホテルの壁面に大きく描かれた大谷選手の像が、現代の消費文化が地域の歴史を上書きする象徴のように見える。壁画が完成した直後に、歴史保護団体がリトルトーキョーを「存続の危機にある歴史地区」の一つに挙げたのは、決して偶然ではないだろう。
だが、この場所の歴史がもつ力を感じさせる出来事も続いている。リトルトーキョーは、2025年に成立した第二期ドナルド・トランプ政権が繰り出す移民排除政策に抵抗する象徴的な場の一つになろうとしている。トランプ政権は、非正規移民の国外追放を「敵性外国人法」によって正当化し、かつて日系人の抑留施設があった場所に非正規移民を収容する施設を建設した。また、博物館や収容所跡地には、戦時強制収容に関する展示を控えるように圧力を加えているという報道もある。8月にリトルトーキョー周辺で移民関税執行局による摘発が行われたときには、移民の人権を無視する不正義に抗議する集会が全米日系人博物館前のデモクラシー・プラザで行われた。強制収容の歴史を「抹消」し、移民や外国人を「侵略者」と呼んで排除する動きが強まるなか、歴史と地域に根づいた連帯の声は、これまで以上に強く響いている。
本書は、いままでの自分の著作のなかでも、長い時間をかけて出版までたどりついた。久々にリトルトーキョーを訪れた日、その変貌を目の当たりにしながら、地域に積み重なった豊かな歴史にあらためて向きあいたいと考えた。最初の単著『「日系アメリカ人」の歴史社会学――エスニシティ、人種、ナショナリズム』(彩流社、2007年)をまとめて以降、20年にわたって進めてきたアメリカ日系人に関する自身の研究を再読し、未整理だった史料を検討し直し、新たに行った調査の成果を加え、あるエスニック・コミュニティの歴史として再編成した。そこで見えてきたのは、排日運動、強制収容から補償運動へ、という日系アメリカ史の「メインライン」と交わりながらも、そのそばを流れてきた人びとの歴史である。20世紀を通したアメリカ社会の変化のなかで、リトルトーキョーという場は、「ジャパニーズと呼ばれた」多様な人びとと「ジャパニーズではない」多様な人びとの接点であり続けてきた。コミュニティがもつ強靱さとは、均質性や自己完結性よりも、境界をすり抜ける柔軟なつながりと、異質な人びとを包みこむ懐の深さに認められるものではないか。本書が、そのような想像力を喚起し、これからの私たちの社会を照らすものになることを願っている。
[書き手]南川文里(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授)
存続の危機にある歴史地区「小東京」の知られざる歴史
私が初めて当地を訪れたのは1997年の1月だった。当時は日本からの観光客の勢いが衰えはじめた頃で、留学生や企業駐在員が利用する店もどこか寂しい雰囲気があった。それでも、行き交う人が少ないJVP内のベンチで、日系人の高齢者の方々が語りあっていた風景に心が安らいだのを覚えている。その頃に比べれば現在の活況は喜ぶべきなのかもしれないが、この町に積み重なってきた歴史が見えにくくなっていることには危機感も覚える。私には、ミヤコ・ホテルの壁面に大きく描かれた大谷選手の像が、現代の消費文化が地域の歴史を上書きする象徴のように見える。壁画が完成した直後に、歴史保護団体がリトルトーキョーを「存続の危機にある歴史地区」の一つに挙げたのは、決して偶然ではないだろう。
本書は、いままでの自分の著作のなかでも、長い時間をかけて出版までたどりついた。久々にリトルトーキョーを訪れた日、その変貌を目の当たりにしながら、地域に積み重なった豊かな歴史にあらためて向きあいたいと考えた。最初の単著『「日系アメリカ人」の歴史社会学――エスニシティ、人種、ナショナリズム』(彩流社、2007年)をまとめて以降、20年にわたって進めてきたアメリカ日系人に関する自身の研究を再読し、未整理だった史料を検討し直し、新たに行った調査の成果を加え、あるエスニック・コミュニティの歴史として再編成した。そこで見えてきたのは、排日運動、強制収容から補償運動へ、という日系アメリカ史の「メインライン」と交わりながらも、そのそばを流れてきた人びとの歴史である。20世紀を通したアメリカ社会の変化のなかで、リトルトーキョーという場は、「ジャパニーズと呼ばれた」多様な人びとと「ジャパニーズではない」多様な人びとの接点であり続けてきた。コミュニティがもつ強靱さとは、均質性や自己完結性よりも、境界をすり抜ける柔軟なつながりと、異質な人びとを包みこむ懐の深さに認められるものではないか。本書が、そのような想像力を喚起し、これからの私たちの社会を照らすものになることを願っている。
[書き手]南川文里(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授)
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