書評
『絶叫』(光文社)
戦慄と同時に黒い解放感
欲ばらなければ、真面目に働けば「普通の生活」ができるなんて幻想は、棄(す)てたほうがいいと思い知らされる。孤独死、女性の貧困、ブラック企業、生活保護、DV、ネトウヨ…現代社会の諸問題がひとりの平凡な女の転落に凝縮された凄(すさ)まじい小説だ。国分寺にあるマンションの一室で、猫に食われた女の死体が発見される場面から物語は始まる。彼女の名は鈴木陽子、40歳。身元を特定するため、所轄の刑事である奥貫綾乃は陽子の経歴を調べる。綾乃の捜査と並行して、陽子の過去が「あなた」という二人称で語られていく。
会社員の父と専業主婦の母、ふたりの子供。戦後日本の標準的な家庭で生まれ育った陽子に、次々と災難が降りかかる。母が溺愛していた弟の自殺、バブル期に借金をつくった父の失踪、家の競売。依存心の強い母は、娘を置いて伯父のもとへ。陽子は手取り12万円の給料でなんとか自活するものの、離婚や転職をきっかけに破綻。〈見えざる棄民〉になってしまう。
他の人より怠けているわけでも、大きな欠点があるわけでもないのに、なぜかいつも存在を軽んじられ、居場所がない。陽子の人生を象徴するのは、幼いころ飼っていた金魚だ。狭い鉢の底で息苦しそうに口をぱくぱくさせながら、どこにも行けず、小さな体を漂わせることしかできない金魚。ひとりぼっちになった夜、初めてバーボンを飲んだ陽子が、グラスの中に金魚の姿をした弟の幽霊を見るシーンは鮮烈だ。金魚は〈人間はただの自然現象だ〉と言う。
良いことも悪いことも巡りあう人も、ただ降ってくるだけの〈自然現象〉と考えるところに、陽子の絶望の深さがあらわれている。居場所を求めるほど、仕事や人間関係の選択肢は減り、閉塞(へいそく)感は増す。救いがない。でも、心から読んでよかったと思う。常に受け身だった陽子が、やがて意志を持って自由を手に入れようとするからだ。そのために冷酷な犯罪者になるのだけれど。陽子がある言葉を叫ぶ結末にたどりついた瞬間、戦慄(せんりつ)と同時に黒い解放感をおぼえずにはいられない。
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