書評
『東京再発見―土木遺産は語る』(岩波書店)
黙する土木構造物を雄弁に語らせて
皇居の二重橋の奥の方の鉄橋は、明治二十一年にドイツ人によって作られ、そこには竜が刻まれているのは知っていた。遠くて見づらいが、目を凝らして観察すれば、二匹の竜が体をうねらせながら向き合う姿がたしかに分かる。しかし、この本によると今の姿は完成時とは少しちがっているらしい。昔は、二匹が対面せずにソッポを向き、顔も鳥類のように嘴(くちばし)付きになっていた。ヨーロッパ産の竜には嘴が付くし、向かい合う習慣もない。それでは困るということで後に東洋ふうに変え、それを今、皇居観光団は眺めているのである。街を歩いていてまず目につくのは人間だが、人間を除くと、図体の大きさもあってか建物と土木構造物が視界を占める。建物についてはいろんなガイドブックや歴史の本が出ているからその気になれば知ることもできるが、橋、道路、運河、石垣といった土木関係はそうはいかない。その気になってもなかなかいい入門書もガイドもない。
理由は簡単で、土木には言葉が欠けている。作るには熱心だが、作ることの意味を論じたり、出来たものの可否や歴史を述べるという習慣がない。巨費を投じてただただ作られ、そして、巨大な構築物が都市や国土の上にゴロッと横たわる結果になる。
それではあんまりじゃないかということで、ここ十数年、土木の分野でも言葉が生まれるようになり、美しさや歴史が研究されはじめているが、そうした成果の一つとしてこの本『東京再発見』(岩波書店)は刊行された。
たとえば東京の愛宕山のトンネルのこと。山の上には愛宕神社があり、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が馬で石段を駆け上り、NHKが最初に位置したところとして知られるが、そこに昭和五年にトンネルが掘られる。列車用でなしに一般通行用としては東京最初の例だそうだが、著者はちょっと普通の人では思いつかないような疑問を持つ。江戸・東京の景勝地として知られ、名高い神社のまします山にトンネルを抜くことに反対はなかったのか。この疑問を神主にぶつけると、答えは、
愛宕山は、奈良県にある三輪山などとちがい、山は御神体ではありません。……昔は、愛宕山を越える山道が通っていましたので、地域住民はトンネルのできたことを、たいへん喜びました。
竣工当時、トンネルの入り口の脇の店では「トンネル焼」なる饅頭(?)が売られていたという。
河の堤防のような無口な存在だって著者にかかれば雄弁になる。大正二年に起工して昭和五年に完成した荒川放水路は東京と埼玉を分ける河だが、その堤防の作りが両岸でちがっていた。東京側が二十センチ高いのである。二十センチというのがこれがなかなか土木の機微。まず素人は気づかないが、洪水の時には着実に埼玉側に流れ出る。著者によれば、帝都を防護するための措置で、現在は高さも幅も同じになっているそうだ。
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