書評
『新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論』(幻冬舎)
世紀末を監視
◆批判する「時漫」
薬害エイズにオウムサリン。文字通り世紀末を想起させる二つの事件が、ともに法の裁きを受ける段階に至った(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996年)。二十一世紀になってこの問題を歴史として捉え直す時、避けては通れぬ資料として著者の一連の「ゴーマニズム宣言」と題する著作が立ち現れることになろう。実はオウムそしてエイズという二つの問題に、著者はまだ火がくすぶっている段階から主体的にとり組んできた。むしろマスコミ報道に火をつけたのは著者の「ゴーマニズム宣言」によるところが大きい。事態を敵味方関係にわかりやすく整理して、味方を鼓舞し敵役を挑発する役割を常に果たしてきたのだから。
著者自身が本書の中で述べている通り、一昔前なら漫画メディアがこれほど大きな影響力をもつことはなかったろう。そこですぐにかつて活字メディアで講壇派知識人が行ったこととのアナロジーが思い浮かぶ。だがそのアナロジーはまちがいだ。なぜか。
講壇派知識人は、自らがよって立つ活字メディアの危うさについて恐ろしいまでに鈍感であった。それに対して著者は、漫画メディアのさらなる可能性を追求することと、プロとして踏まえるべき商業主義に徹することとのまことにきわどい一線を、常に模索し続けているからだ。
川田龍平批判に運動論批判。本書は当然その関心と興味とから広く読まれることになろう。だが著者が放つメッセージはそれに止まらない。脱正義論について描き論じつつ、自らが関わったエイズ問題を今一度内なるウォッチャーとして歴史化しようとする視点があるからだ。同時に刊行された「新・ゴーマニズム宣言〈1〉」(小学館)に再録された時論ならぬ時漫をあわせ読めば、そのことは容易に理解される。
著者が次から次へと描き出す時漫が、単に味方の学生や弁護士のみならず、敵役たる厚生省の役人や警察官にも読まれることによって、歴史のダイナミズムを生み出していった事実もまた、いかにも世紀末的で面白い。著者は今後もアクチュアルな問題を取り込んでいくだろう。その際、論理とギャグとの絶妙な対応関係が失われない限り、読者は著者に「ごーまんかましてよかですよ」と言い続けるに違いない。
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