書評
『平安貴族』(平凡社)
史料を残した生身の人間への想像力
著者は平安貴族の制度や政治構造の研究に生涯を費やし、後の歴史家の信用も極めて篤(あつ)い学者。宮内庁の書陵部に籍をおき、漢文資料にあたり、皇室制度を調べた。平安の宮廷と貴族の専門家である。
この本は、平安貴族がいかにして生まれ、支配階級として機能し、やがて摂関政治へと移行し、院政がどのようにして出来たのかなど、一般人が読んで理解できるギリギリの深さと詳しさで記されている。
むろん、専門家にとっても史料的な役割を果たす一冊でもある。
貴族たちの日常も、主に『源氏物語』の時代を中心に書かれているが、まずは当時の社会の構造、推移を知っておくための、貴重な一冊と言っていい。
著者はすでに故人となり、かつて書かれた本を、令和の時代にあらためて出版されたのが本書である。
一行一行、一字一句まで、生涯の研究成果が凝縮されて入っているので、決して読みやすくはないが、それゆえ、一滴の水を垂らせばたちまち蘇って、平安貴族の風景が立ち現れてくる。
この時代の貴族は、官僚の本質を忠実に備えていて、日記を良く書いた。むろん漢字で記されている。早朝起き出した官僚たちは、さまざま朝の日課や身仕度を済ませたあと、「昨日の事を記す」のが習慣となっていた。朝廷の儀式や故事を、後日の備えとして記録しておく律儀さ。
これが公家日記として現代まで数多く残され、学者たちの歴史史料となっている。
平安の日記と言えば、『蜻蛉日記』『紫式部日記』『更級日記』などなど、女房文学として後世に文芸の花を残しているけれど、男性貴族たちこそ、膨大な日記を書き残したのである。
ただし、官僚による漢字の日記と、女性の筆で記される仮名の日記とでは内容もアプローチも違い、紀貫之が女文字の仮名で『土佐日記』を書こうとした時、すでに官僚的な義務感からは離れていたのではないか。とはいえ、一日の空白もなく書かれてあるのは日次記(ひなみき)の発想から自由ではなかった。
大雑把に言えば、貴族官僚の日記は出来事や状況を事細かく記し、女房たちの日記は思いや情を伝えている。漢字と仮名文字の役割の違いだろう。
では官僚の記したものが、正しい事実であったかと言えば、彼らも宮仕えの身で時代の権力や風潮には逆らえなかった。彼らの思い込みや推量を勘案し、漢文史料を読み解いているからこそ、この本の著者は優れた歴史学者と呼べるのだ。
史料の裏に、史料を残した生身の人間が居たことへの、想像力がある。
たとえば平安京が長く帝都となるきっかけにもなった、あの有名な「薬子(くすこ)の変」に関しても、史料を読み解くことで、薬子と同じ罪を負うべき平城(へいぜい)上皇を守るため、薬子とその一族に罪科の多くを着せたことの歴史的な意味など、通史を検証し、大きな構造変化の流れを摑まえている。正史にもっとも近い学者でありながら、正史の危うさも知っている学者だからこそ信用できる。
著者は平安に生きた人々が、現代人と同じ身体感覚を持っていたと考えておられたかどうか、もし存命なら尋ねてみたかった。平安貴族といえども身体を持つ人間であり、その人間が社会構造を作り変化させていったのだ。
摂関政治や院政にしても、権力欲だけでは説明がつかず、父子の情や女たちの身体的、生理的な情動、乳母(めのと)制度における母性が、裏側から制度を支えていたはずで、そうでなければ、制度は不安定なものになっただろう。
構造を深く研究すればするほど、その構造を支える平安人の身体感覚が、整合的な学問の中から疑問の煙となって漂い出てくる。
女たちは、男たちの権力願望の犠牲となり、性的な強制にひたすら耐えたのか。
そのことにこれだけの学究が気付いておられなかったはずはないが、ここに答えはない。
顔も知らない男との共寝を、まさに現代人がどのように了解納得するかは、今のところ小説家の仮説でしか提示できない。
小説家は「現代人とは違う身体感覚があった」と仮に言ってみる。
その根拠は、このたった数十年で、現代人の生理感覚が大きく変化したことにある。エロチックな漫画に発情装置が起動する世代と、滑稽な絵にしか見えない世代が今、共存している。デジタル時計に馴染んだ人にとって時は「数字」だが、時計盤で時間を計るアナログ人間にとって、時は「量」である。五十億円のうちの二億円は何%かという質問に、五十を二で割って答えを出した人が相当数いたらしい。お金も億となると札束が想像できず、ただの数字になってしまうのか。
ましてや千年昔も今も、同じ人間が居た、などとどうして言えようか。
優れた史料は、書かれてはいないが本質的なものを、想起させ考えさせる力がある。
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