書評
『はじめての沖縄』(新曜社)
「自治の感覚」の源、粘り強く思索
とにかく写真が良い。収録されている写真はどれも何げない。だがそこには沖縄の光と、風と、匂いが捉えられている。なかでも驚いたのがこれだ。岸がタクシーに乗る。すると信号待ちのたびに運転手さんが紙ナプキンを上手に縒って、小さなバレリーナを作ってくれる。ちょっとピンぼけの写真の中で、彼女は今にも踊り出しそうだ。あるいはこんな挿話だ。肌寒い日、岸が暖房のない公立図書館で調べ物をしている。昼食に出てから元の席に戻ると、さっき少し話した職員さんの私物の電気ストーブがそこにおいてある。こういう人がいるなんて、沖縄って良いところだな。岸の思索はそこでは終わらない。どうして自分の判断で、彼らは東京や大阪の感覚より一歩踏み込んで親切にできるんだろう。
南国の人々はそういうもの、と考えてしまえば思考停止になる。むしろ、日本やアメリカに踏み付けにされてきた歴史が彼らに「自治の感覚」を与えたのではないか。戦後の焼け野原で生き延び、復興を遂げるためには、お上に頼らず、地縁や血縁で助け合いながら自力でどうにかする、という生き方がどうしても必要だったのではないか。
もちろんこれは仮説に過ぎない。分かったつもりにならないために、大阪に住む岸は粘り強く沖縄に通い、沖縄戦の記憶の聞きとりを続ける。僕のなかに残ったのはこの声だ。戦後はタクシー運転手を続けてきた男性が、話しながら何度も岸の名前を呼ぶ。「岸さん、岸さん。日本は、戦争の被害者じゃないんです。加害者なんです。岸さん」。「岸さん」という固有名に、どんな言葉にもできない思いが響く。
直感的で、常に外部に向かって開かれている岸の文章は、決して結論には至らない。常に逡巡しながら時間をかけて、響いてくる声にゆっくりと体を慣らしていく。受け身という弱さに踏みとどまり続ける彼の強さに、僕は魅せられた。
朝日新聞 2018年6月16日
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