書評
『老いと死のフォークロア―翁童論2』(新曜社)
『翁童論』の鎌田東二氏がまたもや自在な世界に読者を遊ばせる。『AKIRA』から『二〇〇一年宇宙の旅』、ユーミンや村上龍……に至るまで、豊富な素材をもとに《六〇年代後半から……はっきりしてきた…チの地殻変動》を、鋭利な筆致でえぐり出す(チとは氏によると、霊縁・血縁・地縁・知縁のこと)。
ところで鎌田氏は不思議な人だ。例えば《三島由紀夫の「霊」が私を動かしている》、《深夜、滝に打たれ……頭頂から意識体が抜け出して虚空中をすっ飛び……戸隠神社まで行き……戻ってきた》などさりげなく書いてあるのでギクリとさせられる。比喩や冗談でなくて大真面目なのだ。《「神々」や「霊」や「気」は疑いえないものとして厳存する》
よくいるオカルトマニアと氏がまるで違うのは、自分の霊的体験を、徹底した宗教批判へのバネとしている点。ここが不思議と言えば不思議なのだ。《あらゆる「宗教」を私は信じない》。そう断言してはばからない氏のリアリズムに、宗教学者としての気骨と信頼性を感ずる。
ところで、ここ二十年来の「チの地殻変動」を、鎌田氏はどう見るのか。
氏の診断によると、《異界を感知する能力が死に絶え》かかる一方、《異界を夢見る力が激発》してきたのが現在である。それは、電磁メディアに囲まれ、深夜のコンビニにたむろする青年たちの、救済願望なのかもしれない。
老人・幼児の両相を具有する存在、翁童。神話的想像力の媒体であり続け、異界への霊的喚起力をいまなおそなえているのが翁童である。おそらくそれは、鎌田氏の自己像でもあろう。この社会に帰属しきってしまうことを潔しとしない、霊性の自覚。
現代の高度な資本主義経済の裏側になお、古代に通ずる心性がぽかりと口を開けている。だから「フォークロア」が必要なのだ。古代の神話的思考はどのように変成して、われわれの心性にたどりついたのか。中世や近世の制度の堆積がそこにどう作用したのか。その解明への動機と糸口を本書は与えてくれている。
【この書評が収録されている書籍】
ところで鎌田氏は不思議な人だ。例えば《三島由紀夫の「霊」が私を動かしている》、《深夜、滝に打たれ……頭頂から意識体が抜け出して虚空中をすっ飛び……戸隠神社まで行き……戻ってきた》などさりげなく書いてあるのでギクリとさせられる。比喩や冗談でなくて大真面目なのだ。《「神々」や「霊」や「気」は疑いえないものとして厳存する》
よくいるオカルトマニアと氏がまるで違うのは、自分の霊的体験を、徹底した宗教批判へのバネとしている点。ここが不思議と言えば不思議なのだ。《あらゆる「宗教」を私は信じない》。そう断言してはばからない氏のリアリズムに、宗教学者としての気骨と信頼性を感ずる。
ところで、ここ二十年来の「チの地殻変動」を、鎌田氏はどう見るのか。
氏の診断によると、《異界を感知する能力が死に絶え》かかる一方、《異界を夢見る力が激発》してきたのが現在である。それは、電磁メディアに囲まれ、深夜のコンビニにたむろする青年たちの、救済願望なのかもしれない。
老人・幼児の両相を具有する存在、翁童。神話的想像力の媒体であり続け、異界への霊的喚起力をいまなおそなえているのが翁童である。おそらくそれは、鎌田氏の自己像でもあろう。この社会に帰属しきってしまうことを潔しとしない、霊性の自覚。
現代の高度な資本主義経済の裏側になお、古代に通ずる心性がぽかりと口を開けている。だから「フォークロア」が必要なのだ。古代の神話的思考はどのように変成して、われわれの心性にたどりついたのか。中世や近世の制度の堆積がそこにどう作用したのか。その解明への動機と糸口を本書は与えてくれている。
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