書評
『還流』(データハウス)
公共事業と酷似したODA
日本のODA(政府開発援助)予算は一兆円を超える。先進各国の途上国援助総額四百数十億ドルのうち日米でその約四割を占め、両国はつねに一、二位を争っている。アメリカは途上国の共産化を阻止するという目的が明確で、だから硝煙の臭いもつきまとうが、では日本にポリシーがあるのか。しかも税金からこれだけの大金を拠出するのだから、当然、ガラス張りであることも要求される。本書は、まず実態の分析から入った。日本政府が初めてODAを予算書に計上した七二年から九四年まで、すでに十数兆円もの巨額な資金が投下されている。それらはどう発展途上国で民生安定に寄与したか……。取材は始まりから躓(つまず)き出した。とりあえず過去数年間にわたり各省庁のODA予算の推移を知りたい、と大蔵省官房文書課を訊(たず)ねると外務省経済協力局の所管だ、と断られる。そこで外務省に問い合わせると「立場上、各省の許可がないと明らかにできません。ODA関連の十六省庁から個別に聞いてください」と、親切ではない。このエピソードは象徴的である。ODAは触れられたくない聖域なのだ、ということがその後の粘り強い現地取材で明らかにされていくからである。
タイトルの「還流」が示しているように、結局、日本の援助は国内の公共事業と酷似した構造になっていた。タテマエは、途上国から援助案件が持ち込まれる。だが実情は日本側が開発プロジェクトをつくり、ゼネコンや商社が談合で落札する仕組みになっている。日本の予算執行原則は単年度主義で、納期・工期に正確な日本企業が受注しやすいのである。
政府は国連の安全保障理事国の一員になりたがっているが、それなら本書で問われている疑惑を洗い直し途上国から感謝されるODAへ転換を急ぐべきだろう。著者は週刊誌を舞台に長期取材のタスクフォースを組み問題点を顕在化させることに成功した。本来は新聞やテレビの責務でもあることも忘れてはならない。
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