書評
『昭和の名騎手』(三賢社)
素人目にも分かるが、昭和の競馬のレベルは低く、騎乗技術もスマートさも劣っていた。だが、昭和の騎手たちは個性が強く、レースにはスリルがあり、驚きがあった。1976年春の天皇賞を12番人気で逃げ切ったエリモジョージには「天才」福永洋一が騎乗して仰天させた。同期には悲願のダービー制覇でファンを泣かせた柴田政人や無敗の三冠馬シンボリルドルフと「馬優先主義」で知られる名手・岡部幸雄らがおり、「花の十五期生」として親しまれた。
彼らの師となる世代には「ミスター競馬」野平祐二がいた。競馬後進国でありながら、いち早く海外競馬に目を向け、愛馬スピードシンボリで欧米の大レースに挑戦した。
戦後にあって、空前の競馬ブームをおこしたのは地方出身の怪物ハイセイコーの人気だった。競馬を知らない老若男女をも巻きこみ、増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」は45万枚の大ヒットになった。冠名「サクラ」の馬にピンクの勝負服が似合う小島太は、「酒とタバコと夜遊びは絶対やらない」と誓って騎手になったが全部守れなかったと苦笑する。でも、競馬への純真さは人一倍だったという。
彼らの師となる世代には「ミスター競馬」野平祐二がいた。競馬後進国でありながら、いち早く海外競馬に目を向け、愛馬スピードシンボリで欧米の大レースに挑戦した。
戦後にあって、空前の競馬ブームをおこしたのは地方出身の怪物ハイセイコーの人気だった。競馬を知らない老若男女をも巻きこみ、増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」は45万枚の大ヒットになった。冠名「サクラ」の馬にピンクの勝負服が似合う小島太は、「酒とタバコと夜遊びは絶対やらない」と誓って騎手になったが全部守れなかったと苦笑する。でも、競馬への純真さは人一倍だったという。