2025年5月26日、『カミュ ふたつの顔』が刊行されました。
反植民地主義活動家、レジスタンス活動家、死刑反対論者、そしてノーベル文学賞をもつ偉大な作家――知識人や文化人から大統領まで、あらゆる立場から崇拝されるアルベール・カミュ。1960年の死から半世紀以上経ってもなお、カミュの名は色褪せることなく、あちこちに引っ張り出されています。そうした「国民的作家」のイメージに一石を投じたのが、本書の底本となるOublier Camus(原題:「カミュを忘れること」)でした。著者オリヴィエ・グローグ氏は、カミュの「もうひとつの顔」に迫り、その作家像が政治的に利用されてきた歴史に肉薄します。本書のスリリングな分析を通して浮かび上がるのは、現代フランスの問題だけではありません。アルベール・カミュをこの時代にいかにして読み直すのか——。訳者・木岡さい氏による「訳者あとがき」を捲って、議論の端緒を探ってみます。
貴方は、ふたつのコミュニティ、ふたつの記憶に板挟みになったことはあるだろうか?
この状況にとりわけ置かれていたのは、仏領植民地期アルジェリアで生活したフランス人や、日本による植民地支配期に朝鮮に住んでいた日本人だろう。私たち訳者の祖父母の世代から受け継ぐこの無形遺産は、家族と歴史に関する私的で社会的な記憶である。翻訳に関わる私たちは二人とも、植民地征服の歴史をそれぞれの国から引き継ぐ。ひとりはアルジェリアのピエ・ノワールの子孫、もうひとりは欧州で暮らす日本人として。個々人と集団が抱える植民地にまつわる記憶は常にふたつの顔をもち、自分だけでなく他者との関係性を表す。史実が過去のものならば、相続は、物語として語ること、現在へ伝えることであり、「過去の植民地の記憶をいま、どう表現するのか?」という表象が問われてくる。その端緒を開くのが文学や文芸批評だ。文学による植民地描写は、植民地の現実と政治秩序を証言し、忘れられないように保存するが、支配者の視点から書かれていることが多い。歴史的で社会的な文脈のなかに入れない限り、また、政治的理解と結びつけない限り、文学の表象は、植民地化された想像の世界が世代から世代へ自動的に継続されていくことの片棒を担ぐ。
二〇二三年夏、著者オリヴィエ・グローグ氏に直接、連絡をとった。当時、本著は発売前、著書についての知識もない。題名Oublier Camus[カミュを忘れること]に呼ばれたのだ。訳者が知る限り、この聖なる大作家に批判めいたまなざしが向けられるのは初めてだった。出版後の出来事がこのテクストの重要性を示している。テクストを通じて議論や反響を呼び、大メディアや重要人物さえ動かした。本著をめぐる闘争に加わったのはまず、仏領アルジェリアを最初から支持し、アルジェリア民族の独立に反対した『ル・フィガロ』紙。本や著者への攻撃に左から参戦してきたのは『ル・モンド』紙だ。本著を出版したラ・ファブリックは小さな独立系出版社で、その社会的影響力は、フランスの兵器産業大手を親会社にもつ『ル・フィガロ』や、大富豪が株主の『ル・モンド』のようなメディアと太刀打ちできない。彼らは沈黙を貫き無視するだけで十分だっただろうに、何が癇に触ったのか?
「人道に対する罪」がパレスチナでふたたび始まったのは、折しもその秋。翻訳中、訳者の生活空間の背景を織りなしたのは、これらの犯罪だ。この現実に対し、仏の公共メディアからソーシャルメディアまでが何度も駆り出した人物像はアルベール・カミュ。彼への言及は概して、蜂起したパレスチナ人の暴力行為と無実の民間人の死の両方を非難するのに有用だった。すごく気がかりなのは、結果として、ガザ地区でのイスラエルによる虐殺が矮小化されたことだ。二〇二三年十月七日以前の歴史的文脈やパレスチナ人が置かれた状況の考慮はなし。カミュを使った出来合いの解釈は、植民地の問いを上手くかわせるらしい。矛盾することに、カミュ文学を政治的に読んだのは得てして、文学作品の政治的読解を認めない文化界の権威者だった。ところが、「人間の条件」はもはや理想的でも抽象的でもなく、特定の場所と現代という時のなかにある。イスラエルの入植植民地主義を認めるか認めないかという問いは、荒々しくもフランスを二分した──フランスによるアルジェリア占領期のように。
※本稿は、「訳者あとがき」の一部抜粋です。
[書き手]木岡さい