封印解かれた体験記、活劇のような面白さ
一九六七年秋、劇団を主宰する一人の東大生が、ヒッピーのたまり場新宿風月堂で二人の米兵に泊めてくれと頼まれ、考えた末、ベ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)に連絡した。ベ平連は彼らを本郷のマンションにかくまったあと、別ルートで援助を求めてきた二人と共に、ソ連経由でスウェーデンに脱出させた。すなわち航空母艦「イントレピッド」の四人である。これを皮切りに、「もうベトナムで人殺しをするのは嫌だ」と米軍を脱走した兵士をかくまう専門組織「ジャテック」ができた。本書は当時かかわった人びとが、「自分の見聞をはなし、あるいは自分自身で書いた」三十年ぶりの記録である。
徹夜して一気に読んだ。活劇のように面白い。アポロが月に届き、安田講堂が落ち、巷(ちまた)には「フランシーヌの場合」が流れていた時代の、中学生であった評者には乗りそこねた時代の、活動と魂の記録である。
二度目は研究的に読んでみた。いかにかくまったか。スクリーニング(対面調査)―泊める場所の確保、輸送―次に泊める場所の確保―移動―カウンセリング、そのくり返し。いかに多くの人がひそやかに協力したか、運転手、炊き出し、マンションの提供、資金カンパ、通訳、機関紙編集……。
「特別な人しかかかわることができない」運動であるよりも「だれでも交代できる」オープンな活動をめざした。とはいえ、スパイが侵入すれば、かくまう場所や協力者の秘匿は不可欠だ。信頼と警戒、このせめぎあいに誠実に対処したことで、この運動は陰惨な結末から救われたように思える。
脱走兵には「いいヤツもしょうがないヤツも」いたらしい。金は一日で使い果たすわ、ニワトリを包丁もって追いかけるわ、麻薬や女は欲しがるわ、自分の中産階級的な英語と米兵のスラングの落差を感じた人もいた。そう、彼らは反戦の英雄ではなく「具体的に食欲も性欲もある」ふつうのアメリカ人だった。
いま思い起こす。「その体験によって、私は、根本的なところでなにがしか自由になれた」「人生はほんとうに豊かなものになった」。いちばん若い担い手が五十代に入りかけ、この活動はようやく徐々に封印を解かれ、未来へつながるものとなった。