読書日記
鹿島茂|文藝春秋「エロスの図書館」|石川弘義『マスタベーションの歴史』
コーンフレークは性欲を鎮める?
ほとんどのセックスは相手があるから、場合によっては、犯罪になったり、社会的糾弾の的になることもある。ところが、マスタベーションは自分だけで完結するので、誰にも害を与えない。ゆえに、他人からとやかくいわれる筋合いはなさそうなものだが、実際はこれほど害毒が喧伝されてきた性行為はない。もちろん、いまでは害はなしということに落ち着いているが、我々が高校生だった時代まではマスタベーションをするとバカになって大学に受からないとか、発狂するなどとまことしやかにささやかれたものである。ところで、なにものにも歴史があるように、マスタベーション論にも歴史があり、これを調べていくと、ある種の社会的想像力のようなものが見えてくる。石川弘義『マスタベーションの歴史』(作品社 二二〇〇円)は、マスタベーション害悪論の歴史をあとづけた意欲作である。
マスタベーションがオナニーと呼ばれるのは、旧約聖書でユダの子オナンが、未亡人となった兄嫁との性交のさい「地に流していた」ことにちなむ。事実は中絶性交だが、転じて手淫の意味となる。
著者はミシガン大学図書館でマスタベーション論の古典である十八世紀のスイス人医師ティソの『オナニスム』と出会い、そこから溯って『オナニア』という奇書に突き当たる。
『オナニア』が興味深いのは一種の通信販売の前口上であることだ。すなわち、『オナニア』は、さんざん、マスタベーションの道徳的、肉体的、精神的な害悪を列挙し、読者の不安を煽っておいて、最後に精気増強剤と強壮剤を勧める文章で締めくくられているのだ。
世界で最初の本格的なマスタベーション論が、じつはこんな仕掛けの上に乗っていたということ。これはまことに面白い事実ではないか。不安産業的戦略ともいえよう
では、この『オナニア』を「神学と道徳の教義のきわめて幼稚なごちゃ混ぜ」と批判したティソの『オナニスム』の意図はというと、こちらは、マスタベーションの害悪を「医学的」に証明しようとすることにある。その基本は「精液=エネルギー」論で、思春期にこのエネルギーを放出しすぎると、ありとあらゆる病気を招くというのである。
ここで重要なのは、なぜこの時期に、マスタベーション害悪論がにわかに浮上したのかということだ。一つは、病気、とりわけ精神病が悪魔憑きや魔法によるものであるという考えが捨てられ、肉体的障害に原因が求められた結果、マスタベーションが犯人としてあげられたとするもの。もう一つは、ルソーと一脈通ずる文明害悪説。つまり、文明の進歩がストレスを生み、マスタベーションとして現れたとする「マスタベーション=文明病」説にティソは立っていたと考えるのである。
しかし、著者は、これらを踏まえた上で、もう一つの可能性を示唆する。それは、他人の行為を害悪と決めつけ脅すこと自体を楽しむ「ティソ=サディスト説」である。
ティソというと、真面目な医学的脅しの専門家というイメージが強いのだが、実はこの脅しの裏には、それをひそかに楽しんでいるもう一人の顔があったということではないのか
この密かな楽しみは十九世紀に入ると、たちまち世界中に伝染する。いたるところでおどろおどろしい害悪論が書かれる。イギリスのアクトンやフランスのラルマン、アメリカのラッシュなどがマスタベーションは発狂を招くと脅し、マスタベーション防止のいとも珍奇なる療法や器具が発明される。男性版の貞操帯のような防止ベルト、夢精防止のための爪つきリング。これをはめて寝ると、勃起したとき鋭い爪が食い込む(あな恐ろしや)。
だが、それよりも興味深いのは、邪(よこし)まな想像力が働かないようにする食餌療法が様々に考え出されたことだろう。たとえば、アメリカのグレアムが開発したフスマを除かない全粒粉。これはグレアム・パウダー、グレアム・クラッカーの名で今日まで残っている。
もう一人のアンチ・マスタベーション食品の開発者はというと、なんと、こちらは今ではシリアル食品の代名詞となっているケロッグである。ケロッグは「性器をはたらかせることに伴う神経のショックは、神経系に非常に大きな影響を及ぼす」との信念に基づいて、シリアルを薄いフレークにした健康食品コーンフレークを発明したのである。これは性欲を鎮め、マスタベーションを防止する働きがあると信じられ、たちまち全米の家庭に普及した。
こうしたマスタベーション害悪論は、十九世紀の末、一人の性科学者の手によって集大成され、決定的な影響を与えるようになる。日本でも名高いクラフト・エービングである。クラフト・エービングはものすごい異常性欲の例を九十二もあげ、そのうちの四十七がマスタベーションと関係すると断定した。その論拠は次のようなものだ。
クラフト・エービングにとっては、①彼の患者は病気である、②彼らはマスタベーションをした、③したがってマスタベーションは病気の原因であり、それは不道徳なものなのだ。このように彼は考えたにちがいない、というのが、ヴァン・デン・ハーグの見方なのだが、このような単純な論理は、多くの読者にとって、とても気持ちのいい断定であったと思われる
この影響がじつに大きく、我々の世代まで尾を引いたのである。エービングの影響を覆すに最初にあずかって力あったのがイギリスのハヴェロック・エリス。「最近の権威者は、事実、マスタベーションを精神異常の原因として受け付けないことでは、ほとんど意見が一致している」。いっぽう、ハヴェロック・エリスのライバルであるフロイトはというと、こちらは意外や、マスタベーション有害説に立っていた。フロイト派でマスタベーション無害論を展開したのはシュテーケルで、シュテーケルはマスタベーションの危険は無知な医者の想像力の中にだけ存在すると喝破した。
しかしそれ以後もマスタベーション有害論は根強く、これが害悪ではないと断定され、マスターズをはじめとするセクソロジストからむしろ積極的に容認されるにいたるには、一九七〇年代の性革命を待たなければならない。
オナンの受難から数えればほぼ三千年。人間はなんと長きにわたっていらぬ罪悪感を抱いてきたことだろうか!
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