作家論/作家紹介
オクタビオ・パス『ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスの生涯―信仰の罠』(土曜美術社出版販売)、『くもり空』(現代企画室)ほか
オクタビオ・パスのノーベル文学賞受賞
ラテンアメリカのノーベル文学賞受賞者は、今回のオクタビオ・パスの前にすでにミストラル、アストゥリアス、ネルーダ、ガルシア=マルケスの四人がいるが、いずれも五十代から六十代でこの賞を受けている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1990年)。その意味ではパスの七十六歳というのはまさしく遅すぎる。だが八〇年代に示した活躍振りを見ても、実際の年齢から二十歳は差し引く必要があるだろう。かつて文芸誌『海』の「海の手帳」で紹介した『尼僧フアナあるいは信仰の罠』(一九八二)は見事な長篇評論だった。メキシコ・バロック期に現れた天才女流詩人を再評価する一方で当時の文化状況を今日の状況に重ね合せるという至芸は、複眼的視点と柔軟な思考の持ち主にのみ可能となる。西欧を拒否するのではなく、むしろメキシコの辺境性を巧みに生かすその方法は実に魅力的だ。しかもこのあと内外の作家や作品を論じた『作品の影』(八三)、『人物とその世紀』(八四)、『批評の情熱』(八五)をたて続けに出す一方で、絶えざる政治的関心が生んだ政治論集『くもり空』(八三)を刊行している。
パスが何よりも詩人であるのは、評論の多くが詩論としても読めるからだが、詩の実作も怠ってはいない。密度の濃い作品を書こうとするので数は多くないが、八七年には詩集『内なる樹』を編んでいる。それ以前の作品のアンソロジーである『詩集』を通読すると分るように、初期のロマンチシズムからシュルレアリスムさらには東洋体験を経て、作品は次第に思索的な性格を強め、『内なる樹』にも同様の傾向が認められる。肩の力の抜けた円熟振りはさすがに年輪を感じさせるが、枯淡の境地とも違い、相変らず生命感をはらんでいる。若さが持続しているのだ。あるいは早くから熟成していたというべきかもしれない。八八年に彼は十七歳から二十九歳までに書いた評論や詩のアンソロジー『初期作品集』を出したが、それを読むと彼が少年時代から芸術家としてのモラルを大事にしていたことが分る。
彼の政治的発言の根底にもこのモラルが認められる。スペイン内戦での共和派へのコミットの仕方、独ソ不可侵条約締結による失望などは彼のモラルと関係がある。九〇年代に入った今年、彼は再び政治論集『偉大なる日日のささやかな記録』を出した。彼はここで全体主義や社会主義を鋭く批判しているが、忘れてはならないのは彼がそれを一貫して試みてきたことである。しかもモラルのレベルだけでなく、彼は歴史のレベルにおいてそれを行なうのだ。
彼の思想がラジカルなのは、資本主義も社会主義も同様に批判できるポジションを持っていることによる。革新から保守へ、社会主義から資本主義へと二分法の枠組の中でしか動けない知識人とは根本的に異なるのである。メキシコという複数の歴史が見えるポジションに生れた詩人とその思想に、世界は今ようやく正当な評価を与えたようだ。
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