書評
『貧困旅行記』(晶文社)
読みはじめて、こういう旅もあるんだなあ、と思った。読みおえて、こういうのが旅なんだ、と思った。
著者の旅は、いっぷう変わっている。行き先は、それほど遠くはない。奥多摩、鎌倉、伊豆、丹沢……。思いたったら、その日にいけるぐらいのところである。
なるべく人に知られていなくて、できるだけ鄙びているところがいい。宿も、近代的なのはダメ。「貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる」という著者は「侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える」という。
「不安」ではなくて「安らぎ」であるところに、私はいたく感動してしまった。なんというかそれは、自分が自分ひとりぶんの重みで、この世に存在していることの心地よさ、ではないだろうか。
――陰鬱な言葉が並んでいるのに何故かあったかくて、ユーモアまで感じられてしまう。不思議な紀行文である。これらの言葉から、著者の好むところというのは、大体イメージがわく。
そして、思い浮かべてみて気づくのは、これらが場所をいう言葉であるにもかかわらず、イメージされるのは、ある「時間」だということ。それは日常から切り離された、人と人との関係から解き放たれた、誰からも干渉されない「時間」である。
旅をするとは、旅人になるとは、本来そういう時間を手に入れることではなかったか。
名所旧跡を訪ね、珍しいものを食べ、おみやげを買う――という「ツメコミ型」の旅を楽しむ人も、もちろんいる。現代はそのほうが多いだろう。
対するに著者の旅を名づけるとしたら?
「そぎおとし型」と言ったらいいだろうか。日常の贅肉を、どんどんそぎおとしてゆく気持ちよさ。
妻と子をともなった「そぎおとし型」の旅も、とてもいい。そこには、ぬくもりとユーモアが、さらに深く感じられた。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
著者の旅は、いっぷう変わっている。行き先は、それほど遠くはない。奥多摩、鎌倉、伊豆、丹沢……。思いたったら、その日にいけるぐらいのところである。
なるべく人に知られていなくて、できるだけ鄙びているところがいい。宿も、近代的なのはダメ。「貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる」という著者は「侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える」という。
「不安」ではなくて「安らぎ」であるところに、私はいたく感動してしまった。なんというかそれは、自分が自分ひとりぶんの重みで、この世に存在していることの心地よさ、ではないだろうか。
やりきれないほど侘しい。(中略)しかし、暗くて惨めで貧乏たらしさに惹かれる私は、穴場を発見したようで嬉しくなった。
この盲腸の奥のような、暗い袋小路に佇んでいると、なんともいい表しようのない不思議な感銘を覚える。
こんな絶望的な場所があるのを発見したのは、なんだか救われるような気がした。
――陰鬱な言葉が並んでいるのに何故かあったかくて、ユーモアまで感じられてしまう。不思議な紀行文である。これらの言葉から、著者の好むところというのは、大体イメージがわく。
そして、思い浮かべてみて気づくのは、これらが場所をいう言葉であるにもかかわらず、イメージされるのは、ある「時間」だということ。それは日常から切り離された、人と人との関係から解き放たれた、誰からも干渉されない「時間」である。
旅をするとは、旅人になるとは、本来そういう時間を手に入れることではなかったか。
名所旧跡を訪ね、珍しいものを食べ、おみやげを買う――という「ツメコミ型」の旅を楽しむ人も、もちろんいる。現代はそのほうが多いだろう。
対するに著者の旅を名づけるとしたら?
「そぎおとし型」と言ったらいいだろうか。日常の贅肉を、どんどんそぎおとしてゆく気持ちよさ。
妻と子をともなった「そぎおとし型」の旅も、とてもいい。そこには、ぬくもりとユーモアが、さらに深く感じられた。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞
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